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「工学部ヒラノ教授と七人の天才」今野浩著

2013-12-02 22:40:41 | Book
稀な人、というのは、日本では少し不幸かもしれない。空気をよみながら、団体行動がよしとされる日本の風土で、ある種の際立った才能や頭脳に突出した天才は、何となくここでは生きにくいのではないだろうか。天賦の才能を与えられた数学者の列伝を書いた藤原正彦氏の「天才の栄光と挫折―数学者列伝―」は、まばゆい才能とそれがもたらしたかのような天才たちの悲劇を格調高い抒情性で書かれ、評伝ものとしては特別に素晴らしい一冊だった。

さて、ところかわり、大岡山(東京工業大学)を縄張りとした同じく天才たちの素顔?実像をあますことなく紹介した、ヒラノ教授の本書「工学部ヒラノ教授と七人の天才」も”格調高く”・・・なんていうことはない。同じ天才ものを書いて、この差、いや違いは何なんだ。やはり、作者の”品格”の差か、なんて言ったら失礼。私は、象牙の塔に住んでいるとはとても!思えない、親しみやすいお隣の少々変人のおじさまタイプのヒラノ教授を大好きである。それは兎も角、次々といつのまにか刊行されていたヒラノ教授シリーズものだが、今度はヒラノ教授がめでたく筑波大学を脱出してソフトライディングした東工大で出会った、驚くべき7人の天才たちのお話である。

文理両道の大教授、三階級特進のロールズ助手、NP完全問題と闘った男、ベトナムから来た形状記憶人間、研究の鬼、谷崎潤一郎に次ぐ才能、突き抜けたエンジニア。

本書を読んで感じた彼らの共通項は、勿論、傑出したスーパーな特製の頭脳。そしてエネルギッシュなたくましさ、というよりも世間の目をものともしないずぶとさ、あつかましさ(あっ、文理両道の大教授の吉田夏彦氏はタイプが違う)、唯我独尊、怒涛のごとく邁進する研究生活、等々、彼らの生態は実に興味深いのだが、他方でその精神構造は本書を読んでもいまだに謎に包まれて解明されていない。ある者は、後輩をこきつかった御礼に晩飯をおごると連れ出し、道端で買った菓子パンを食えと強要した難問にとりこまれた数学者、艶聞の絶えなかった日比谷高校で谷崎潤一郎に告ぐ才能と評された著名な文学者、廊下中に響き渡る大声で内緒話をして、お金をおろすのに5駅先の銀行まで自転車で行くエンジニア。金融工学の第一線者とは思えない合理的ではない行動が、笑える。

それぞれに破天荒なエピソードが、ヒラノ教授によってひそやかに語られている、というよりも暴露されているのだが。しかし、そんな天才たちを一言で言い切ると、本当に「すごい人」になる。いろいろな意味で、やはり「すごい人」たちなのだ。ヒラノ教授がたとえ”はしたない奴”と仲間からそしられても読者に伝えたかったのは、この天才たちの”すごさ”になるのではないだろうか。「すごい」という言葉には、確かに人の心を魅了する感動が含まれている、と私は思うのだ。

他方で、研究というものがいみじくもヒラノ教授によるとある研究者を「ウインブルトン選手権」のチャンピオンという表現で語られているように、熾烈な競争であり、勝者をめざして戦わなければいけないということだ。

そしてシリーズもので、毎度訴え続けているのも日本の大学の行く末と問題点である。ロンドン・タイムズ紙や中国の勝手格付けの世界の大学ランキングはあまり意味がないと私は考えるが、2005年に実施された国立大学の独立法人化は、研究環境を益々劣化させているのは事実であろう。研究費、給与の削減、事務処理の増大に反比例して事務職員の削減等。それにも関わらず博士課程を取得する者に応えることのできない環境や制度。こうなったら、怖いものなしの定年を迎えヒマのあるヒラノ教授の語りは、まだまだ続けていただけなければならない。

■まさかのシリーズ化
「工学部ヒラノ教授」
「工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行」
「工学部ヒラノ教授の事件ファイル」


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