千の天使がバスケットボールする

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インドのふたつの村

2007-02-02 23:34:01 | Nonsense
先日のNHKスペシャル「インドの衝撃 わきあがる頭脳パワー」でIT関連企業インフォシスの設備と環境には脅威すら感じたが、インドの農村はまだまだ貧しい。
インドの中所得者層の年収は4万~18万ルピー(1ルピー=2.6円)で、近年4億人はいると言われている中間層が消費を拡大させている。しかし貧富の差が激しいのもインド。こうした経済成長にのれない貧困層の悩みは深刻である。ここにふたつの小さな村がある。その村は本来の村の名ではなく、別の呼び方をされている。
ひとつは、インドの中央に位置する人口1000人のスンナ村。
この土地で生きる農民のビジャイさんの長男ラビィさんは、26歳で綿花畑の電柱で首つり自殺を図った。考えられる理由は、綿花が不作で銀行からの借金が約65万円。この金額は、この国の貧しい農民には莫大であろう。にも関わらず、妹の結婚式がせまているのに持参金を工面できなかった。酒も呑まず、たばこも吸わず真面目に働いていた息子の自殺の原因を金銭面での責任感と考えるのが、父親の悲しみだ。このスンナ村を含むビダルバ地方では、約300万人が綿花栽培をなりわいとしている。多くの農民は小学校しかでていないため、近代的な遺伝子組み替えなどのより有効な農作業を理解できない。綿花の市場価値は、かっての半分になっている。05年6月から昨年11月末までに1140人の自殺者がでて「自殺村」と呼ばれている。
亡くなったラビィさん夫婦は、6畳一間程度の小さな小さな部屋で生活していた。10年前に購入した白黒テレビがおいてあるが、そのテレビを観ることはできない。電気料金の支払が滞りがちなため、電力会社はこの村への電気の供給を打ち切っている。

そしてもうひとつの村が「臓器村」。
岡山大大学院教授の粟屋剛さんが訪問したのは、多くの臓器提供者が住んでいるビリバッガム村。14歳から48歳までの55人の臓器を売った人に15年前に聞き取り調査を行ったところ、当時村民の年収が6万円のところ臓器の売却価格は2万4千円~11万円だった。この価格が高いか安いかではない。臓器を売る発想が育つ貧困と無教育に、無関心ではいられない。おりしもフィリピン政府は、腎臓移植を希望する外国人患者に対し、一定の条件を満たせば腎臓提供を認める新制度を導入する方針を固めたが、ここインドの「臓器村」でも購入者は55%が外国人だった。読売新聞にその調査時に撮影した臓器提供者の30代に近い男性の写真が掲載されていたが、大きな傷跡が痛々しい。

ソニア・ガンジー国民会議派総裁は、「繁栄と社会正義実現の綱渡り」と日のあたらないインドを”シャイニング・インディア”にできるのだろうか。貧困層は人口の3割。この層は、殆ど餓死寸前だという。貧困は悪であると言ったアマルティア・セン 経済学者が、インド出身だったことを思い出した。