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~美の巨人たち~レンブラント「夜警」

2009-03-23 22:55:31 | Art
一昨日の「美の巨人」に登場したのは、数々の謎が残るレンブラントの大作「夜警」である。この絵画の謎を解くには、たった30分番組では到底及ばない、、、なんちゃって、侮ってはいけなかった。なんと今回の番組では「夜警」というタイトルそのものをゆるがす真相の解明が行われていたのである!

ロシアのエルミタージュ美術館には、「レンブラントの間」と呼ばれる部屋がある。彼の作品は、今も、昔も人々の心をとらえて離さない。自画像、風景画、宗教画、歴史画、肖像画、日本の鷲の羽根も使用されていたエッチングなど、生涯に渡って800点余りもの作品を残した多作家のレンブラント。その豊富な作品の中でも、最も有名な絵といえば集団肖像画の「夜警」であろう。

1606年、レンブラントは製粉業を営む家に8男としてライデンに生まれた。ラテン語の大学に進学するもわずか数ヶ月で退学。その後、得意の絵をいかしてアムステルダムに渡り、最初は肖像画として人気を誇るようになる。当時の年収は、200ギルダー。さらに名門の娘、サスキア・ファン・オイレンブルフを娶り、名声、富とともに人生の栄光の日々を迎える。そんな絶頂期にまいこんだのが、火縄銃手組合からの集団肖像画の依頼だった。『フランス・バニング・コック隊長の市警団』と名づけられた作品には、警備隊の長官と副官である中央のふたりは、服装も何度も丁寧に重ねて描いているが、他の人々はまるでひき立て役のようにあらいタッチで描かれている。前方は、ザラザラとした絵の具を使い、後方はつやつやとした質感の絵の具で描いている。しかも、警備隊のシンボルである鳥をぶらさげた謎の女性や本来いなかった犬や、画家自身もちゃっかり登場している。全部で18人だった人物がいつのまにか増えて、実際何名いるのかわからない始末。

1946年、2度の洗浄作業でこの絵を修復すると、長官の手の平に射す光はまぶしく、副官の服に落ちたその影は濃かった。「夜警」ではなく、本来は昼間の出来事だったことが判明した。更に、ダム広場の市役所に移された時にあまりにも絵のサイズが大きくて入りきらなかったために、左に60センチ、右側と下部が10センチ、上部が25センチもカットされていたのだ。本来のサイズのCGで想像すると、中央のふたりがもう少し右によっていて、絵画全体に動きと躍動感が伝わってくるのがわかる。不運な絵画は依頼人からも不興を買ったようだが、そのせいだろうか、アムステルダム経済の衰退とともに肖像画の依頼もめっきり減り、また愛妻のサスキアも亡くなり、残ったのは多額の負債でとうとうレンブラントは破産する。最後は、スラム街に身を落とし、亡くなった後は共同墓地に埋葬された。

「画家が目的を果たした時に、絵は仕上がる」
そう言ったレンブラントは、合計34人の人々を描いて筆を置いた。
レンブラントの謎や神秘性に深く入り込んでしまった様子を「魔法使いと呼ぶしかない」という言葉で表現したのは、ゴッホだった。現代に至るも尚、多くの謎を残した「夜警」。その絵は、アムステルダム国立美術館に飾られ、訪れる人々の心をとらえて離さない。

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映画『レンブラントの夜警』


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