千の天使がバスケットボールする

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「ベェネツィアの宿」須賀敦子著

2012-05-27 14:44:11 | Book
須賀敦子さんはこわい人だ。
このひとの前にたったら、心の底まですべて見透かされ、笑顔のベールで覆ったつもりの、もしかしたら自分ですらも気がついていないひそやかな哀しみまでじっと見つめられてしまいそうだ。丸谷才一に評価され、白衣をきた詩人の福岡伸一さんに愛された作家の須賀敦子さん。須賀さんのエッセイを久しぶりに読んでみる。

窓を開けると、思いがけずに近くにフェニーチェ劇場からのアリアが聴こえ、続いて拍手が夜空一面にひろがっていくベェネツィア の宿からはじまる『ベェネツィアの宿』。巧みな文章で誘われるような旅情ではじまるプロローグ。やがて、ベェネツィアの宿はお父様の1年近くにも渡った欧州からアメリカへの長期の渡航の思い出につながれ、須賀さんのパリ留学時代の厳しい生活で出会った異国の留学生、偶然すれ違ったイタリア在住時代の友人、そして夫ベッピーノとの早い別れを予感した「アスフォデロの野をわたって」と、小さな奇跡のような出会いと別れを静かに淡々と綴られている。

さて、須賀さんのお父様は、創業者の長男だからという理由で、大学を中退して大きな会社の後を若くして家業の経営を継ぐことになった。
熱心に求婚した女性と結婚し、健やかなこどもたちにも恵まれ、はたからは順風満帆に思える人生なのだが、家業に今ひとつ身が入らない。贅沢な悩みのようにみえて、それは彼の望んだ人生ではなかったのかもしれない。そんな父親を心配して伯父たちが計画したのが、一年近くの豪華な海外旅行。トランクにはタキシードをつめて。それは、須賀さんが6歳の1935年のことだった。

本書には、冷静な観察力と繊細な感性ですくいとったまなざしが、凛とした気品のある文章で表現されている。
自宅を出て、愛人と一緒に暮らすお父様を見舞う病室。そこで母や家族を苦しめるお父様に寄り添う愛人を見かけるのだが、彼女へのうらみなどなく、端整に静やかな描写でおわっている。あらためて須賀敦子さんのプロフィールを調べると1929年生まれ。1960年に夫となるジュゼッペ・リッカ(ペッピーノ)と出会い、翌年結婚するものの夫の急死で短かった結婚生活がおわる。帰国して「ミラノ 霧の風景」が一躍脚光を浴びるのが、1991年のことだった。作家として、文章を書き始めたのが50代半ばを過ぎてからの事。

昨年、勤務先の上司が変わった時の後任に、変にやる気満々の若い人ではなく、人生の酸いも甘いも噛み分けた50代半ばの人がくるからよかったと、元上司が感想をもらしていたのを思い出した。その時、「人生の酸いも甘いも噛み分けた」とは随分古い言葉だなと思ったのだが、須賀さんこそまさしく人生の酸いも甘いも噛み分けた円熟の方だった。
「女が女らしさや人格を犠牲にしないで学問をつづけていくには、あるいは結婚だけを目標にしないで社会で生きていくには、いったいどうすればいいのか」
そんな当時としては貴重な自立精神がヨーロッパ、そしてイタリアにひかれていく過程で魂の彷徨がめぐりあわせた人々。彼ら、彼女達を慈しむような優しさとすべてを見通す厳しさをあわせてもつ須賀さんは、古きよき日本人の心を受け継ぎながら、個が確立されたヨーロッパ精神も自然に身につけていく。彼女の作家としてのデビューは遅かったのだが、それは読者にとってはとても幸運だったのではないだろうか。

そして、須賀さんのお父様が最後の時を迎えた時の様子が書かれた最終章の「オリエント・エクスプレス」。
お土産などめったに要求したことのないお父様が病床で娘の帰国とともに待っていたのが、ワゴン・リ社の鉄道模型と、オリエント・エクスプレスのコーヒー・カップだった。ワゴン・リ社の模型は兎も角、オリエント・エクスプレスのコーヒー・カップは非売品である。それをどうやって須賀さんが手に入れたのか、そしてお土産を大事に抱えて、急いで帰国した娘を迎えた父。最後の一文まで端整に美しく、モーツァルトの音楽のように悲しみが残される。
私もヨーロッパが好きでひかれる。須賀さんの本を読んでいくと、その昔の大陸だったヨーロッパの精神にふれるような思いがする。オリエント・エクスプレスは、3年前に126年の歴史の幕を閉じていた。