旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ワイタンギ条約の本物を見る

2020-10-07 07:32:50 | ニュージーランド
2005ニュージーランドの旅より
それは首都ウェリントンの国立図書館に、分厚い金属扉に守られ保管されていた。

1840年2月に先住民マオリの部族長五十人と「パケハ」と呼ばれた白人たちの間に交わされた条約の「紙」

ぼろぼろになった「紙」が何で出てきてるか質問すると、係員が「犬の皮です」と言った。
後日調べてみると、「羊の皮」と説明されている資料が多く目についた。
どちらが本当なのか?
犬はマオリの人々がポリネシアから移住してくるときに連れてきた。
羊はイギリス人が入植する時に連れてきた。

条約の「紙」は1841年に火事に遭い、1908年には収蔵庫が水没していた。
1913年に修復が施された際に羊の皮で裏打ち補強されたという解説を見つけた。
仮説だが、犬の皮でつくられたものを羊の皮で補強しているのではないかしらん。

紙が不自然なカタチをしているのは後に別の部族との署名も付け加えられ、全部で七つの「紙」を繋ぎ合わせたから。
マオリの人々は文字を持たなかったからサインの代わりに「×」などの印を書いただけだった↑

マオリ族の人々はイギリス人たちに屈したのではなく、条約のマオリ語訳が英語訳とはちがっていたために同意したのだとされる。翻訳した宣教師たちがどのぐらい意図的に間違ったのかはわからない。
NZ各地から集まった五十人の族長たちは「同意」して条約が締結され

「アオテアロア(マオリ語)」は「ニュージーランド」となった。

ワイタンギ条約はイギリス人たちの形式で、百数十年内容を顧みられることはなかった。
1970年代になってマオリの人々が権利を主張しはじめ、「ワイタンギ条約が支配のはじまりだった」と認識し、法廷闘争で言及したのだった。

1972年↑マオリ語をすべての学校に導入する請願を、三万人の署名と共に提出しにきたマオリ人権団体↑

あれから半世紀。
ラグビーの試合で「HAKA」を踊ることをはじめ、
ニュージーランドの白人たちは、むしろマオリ語とマオリの文化を積極的に使い、それを国の誇りとしている。

移民は祖国との絆をことさら大事にするが、祖国の側は移民していった同胞の事を先方ほどは顧みない。
移民二世・三世と時代がすすむうち、「どうやら我々は同胞とはみなされていない」と感じはじめ、
「自分たち独自の誇りとは何か?」と模索することになる。
NZではマオリの文化がそこに強く存在していた。

小松がはじめて訪れた1990年代にはHELLOが普通のあいさつだったが、それから二十年ほどの間にKia Ora (「ケオラ」と聞こえる)というのが一般的かとまで思えるほどになった。各学校でのマオリ語授業は必修になり、ラジオやテレビでの放送も盛んである。
ニュージーランドは、植民地としてはじまった国々のなかで、先住民族の文化との融合・共存がもっともうまくいっている例のように見える。

ワイタンギ条約はユネスコの世界遺産にも指定されている。




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