旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

サンチャゴ大聖堂と広場を見学

2019-04-29 11:00:00 | スペイン
サンチャゴ大聖堂は今回やっと正面ファサードの修復が終わっていた。
昨夜の様子

パラドールでの朝食の部屋からの眺め


正面の中心にはもちろんヤコブ=サンチャゴの像↓
↓下の段の左右には弟子でヤコブの遺体をガリシアまで船で運んできた弟子のテオドロとアタナシウス

キリストの死後、ガリシアで布教にはげんでいたヤコブだったが、イスラエルに戻って殉教した。その首なし遺体を弟子二人がひそかに船に積んで布教した地へ運んだとされている。

遥か後の西暦811年、星のカタチの光に導かれた(コンポステラとは「星の丘」の意味)隠者がヤコブの遺体を発見した。
それがこの場所、まずは小さなお堂が建てられた。
アストゥリアス王(その当時はまだスペインという国の概念はない)アルフォンソ三世がロマネスクの聖堂を建てたが、西暦997年にイスラム教国が攻め入って壊されてしまった。

現在の聖堂はその後に西暦11世紀から13世紀までかかって建てられた三番目のもの。
聖堂前の広場が「オブラドイロ(ガリシア語で「職人たち」の意味、※諸説あり)広場」と呼ばれているのは、大聖堂建設のために職人たちがここで働いていたからだと今日のガイドさんのご説明。

↓広場の敷石が不規則なのは廃材をつかってとにかく整地したせいだそうな。ま、いろんな年代が混じり合っていることでしょうけれど。


大聖堂の正面玄関と塔は1750年からフランスの建築家がバロック様式に変えてしまったけれど、広場の北側にある旧王立病院の入口はロマネスク時代のまま↓

構図も無理なくきれいにはまっているからオリジナルに違いないだろう

↑彫も美しい

↓我々が泊まっていたパラドールの正面はルネサンス風

入り口左手にイサベル女王の紋章と言われたが、上に鷲が一羽乗っている。ヒメノ朝の女王としての紋章?
入り口右手の紋章はハプスブルグの双頭の鷲がついているから孫のカール一世のものだろう。

↓聖堂のテラスから広場を見晴らしたところ※2012年撮影、2019年4月現在は修復中で入れません

↑広場の聖堂向かい側に位置している建物は同じくフランス人建築家が18世紀後半に大司教の舘として建てなおしたもの。
大司教の紋章がつけられている↓

それ以前のこの場所には牢獄があったのだそうだ。

聖堂内部に入る前に正面入り口に向かって右にある博物館の見学からはじめた。
今朝のガイドのルチアさんはこの博物館の学芸員だったのだそうで、とても詳しい説明が聴けた。
※博物館内部は撮影禁止
今回はじめて知ったのは、「聖遺物の祭壇」に納められている百以上の聖遺物の中に★「ヨハネ・パウロ二世の血」までもが奉納されていたこと。かの法皇は1981年にサン・ピエトロ大聖堂前の広場で撃たれた事がある。その時拭き取られた血が誰かの手によって大事に保存されていて、法皇が列聖された2013年にこちらにもたらされたのだそうだ。
巨大な真新しい祭壇の左隅に血を吸った小さな布片があった。
また、★「聖ヤコブの歯」も、後世にイスラエルからもたらされて、同じ祭壇の右下部に納められていた。ヤコブの頭部は刑死したイスラエルにのこされていたということ。

大聖堂内部に遺体を葬ることは16世紀は禁止された。臭気がひどく衛生面が懸念されたからだという。
代わりにこの回廊中庭が建設された↓

↑現在でも宗教者の埋葬はこちらで続けられている。
↓中庭にあった巨大な石の器は何?

↑これはかつて聖堂の北入り口のすぐ外にあった噴水の水盤。
どろどろに汚れた巡礼たちは、この噴水で身体を洗ってから聖堂内部に入るのを許されたのだそうだ。
脱いだぼろぼろの服を焼く場所も別の場所にもうけられていた。

同じ中庭に貴族アルバ家(ゴヤと関連のあるALVAではなくALBA)の礼拝堂↓

「このファミリーは、馬に乗ったままこの自家の礼拝堂まで入る権利をスペインの王から賜ったのよ」
当時、王だけは乗馬のまま教会内部にも入れたのだが、特別に同じ名誉を拝領したということ。
もっとも、今も続く同家は一度もその権利を行使したことはないそうだが。
内部には立派に修復された祭壇があった↓

**
大聖堂内部はまだまだ修復中だった

ヤコブの像のところへ登る階段も足場がある。
巨大な香炉を振る「ボタフメイロ」の滑車はあるが↓

今はなかなか行われない状況だ。
ミサに参列するための椅子もまったくない状態である↓

※↑柵はボタフメイロの時に近づきすぎる信者が怪我をしないようにもうけられた。
それ以前は巨大な香炉に顏をヒットされる人もあったのだそうだ。
★こちらからボタフメイロの時の様子をごらんください

大聖堂の修復は、有名な「栄光の門」の周辺にも及んでいる。
かつては巡礼たちが触れていた門は2012年にはすでに触れなくなっていたが、今ではこの「マエストロ・マテオ」の像を見ることさえも別料金(予約制)になってしまっている。


地下にあるヤコブの墓だけは見ることができる↓


9世紀当時にはこの周辺には墓場が広がっていた。
キリスト教以前からの墓が大聖堂の地下には残されていて、そこに降りる階段入口が見えた↓



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セブレイロ峠を越えて、サンチャゴ・デ・コンポステラのパラドールに到着

2019-04-28 20:00:00 | スペイン
紫色の丘が続く

行く手に雪山が見える

アストルガからサンチャゴまでは徒歩なら十日はかかる行程だが今日は午後にすっとドライブ。
**
セブレイロ峠は標高1100mほど
冬には寒いのだろう。伝統的な家屋は半分地下になっている↓

多くの巡礼路がこの峠を通っていたので、ここの司教が黄色い矢印で正しい道を示したのが今の黄色い貝殻マークによる表示のはじまりだときいた。

↓イサベラ女王が奉納したという像のある教会↓





***

さらに走って、サンチャゴ大聖堂の塔がはじめて見える「ゴゾ(歓喜)の丘」に到着
喜ぶ巡礼の像がある場所から

彼らの指差す大聖堂を見る。

巡礼たちの多くはサンチャゴに到着する前日ここに泊まる。
大聖堂で正午から行われる巡礼へのミサに間に合うようにするためだ。
※現在大聖堂内部が改修中なので近くのフランチェスコ教会で行われている


我々は車なので二十分ほどで大聖堂前のパラドールに到着。

↓小さい車なのでとても便利



↓カトリック両王の孫にあたるカール一世が建設させた巡礼たちのための救護・宿泊施設だった。

四つの中庭がある


夕方まで町を散歩

↓ガリシア地方名産のタコがたくさんの店でみられる

↓パラドールでの夕食にも登場


サンジャックのホタテガイも

貝殻はお土産にしてもらえます



夕暮れになった大聖堂前の広場を散歩

長く修復していたカバーがはずされた

正面の宮殿の下で学生バンド「トゥーナ」が演奏中

宗教都市サンチャゴには伝統ある大学もあるのだ
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アストルガでガウディの司教館を見てから昼食

2019-04-28 14:00:00 | スペイン
アストルガもローマの城壁が残されている↓

↑その後ろに建つのがガウディの設計した司教館。左後ろの赤っぽい塔は大聖堂

車を降りてローマの城壁を入る↓


城壁の中すぐの場所に↓こちらも教会の様な外観

着工されたのは1889年だからもうこんなゴシック風の建築の時代ではない。ネオゴシックということになる。

↓ゴシックもガウディのてにかかるとただではすまない


入り口を入ってすぐ、煉瓦でつくられたアーチはどこかイスラム的な雰囲気

花崗岩の柱頭はハート形

将来はこの螺旋階段の筒の中に↓エレベーターが通されるだろうと設計されている↓

礼拝堂部分↓


ガウディがこの建物を設計したのは、アストルガ大司教のグラウが友人だったから。
グラウ司教とガウディの名前が書かれている↓

ところが、設計開始から五年後の1893年にグラウは死去。
後任のアルコレア司教がガウディのスタイルを好まなかったので建設はストップ。
その後完成の1913年まではゲレタが手掛けた↓同じように名前が書かれている

建築の後半にはガウディ的なものは抑制された建物になっているのだ

↓はっきりとガウディ的なものは判別できるのだけれど

**
地下の階はこの場所で見つかったローマ時代のモザイク床や↓

中世の石棺が展示されている↓



↓外へ出ると巨大な天使像がめについた↓

これらもガウディによってつくられたもので、
ガイドのカミーノさんによると屋根の上にとりつけられるよていだったのだとか。
ううむ、あんまり合わないような気がします。

***
アストルガは新大陸からのカカオによってはじめてチョコレートがつくられた町とされている。
チョコレート博物館もあるぐらいだから、お菓子もたくさんある↓


****
ランチは、ホテル・ガウディにて。
シーフードのパエリアをメインにいただきました。


午後はいよいよサンチャゴ・デ・コンポステラへ向けてドライブ。
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レオンの旧市街を歩く朝2019

2019-04-28 12:22:51 | スペイン
レオンの街をゆく自転車巡礼。それを見守るガウディの像↓

すぐ前がガウディの設計した建物なのだ↓

↓鉄の柵がガウディらしいデザイン…(※と思っていたけれど、帰国後に調べていてもともとはもっとすごい入口だったと分かった。後述します)
↓入口にカサ・ボティネスCASA BOTINES「ボティネスの家」と書かれている。

ボティネスはこの建物をオーダーした資本家二人の会社の以前の名前。
2017年よりガウディ博物館として使われることになり、最初の名前にもどされた。
↓こちらが2012年に訪れた時の写真↓
カハ・エスパーニャ銀行のオフィスビルだったことがわかる。

↑★1950年に入り口上「龍を退治する聖ジョージ」の、退治されている龍の口から鉛の筒が発見され、ガウディが隠しておいた設計図が入っていた。
四十歳のガウディはなぜそんなことをしたのだろう?

騎士像の下の「カサ・ボティネス」という表示はいかにも現代風であっさりしすぎている。
ガウディならこんなあっさりした表示なんかでは満足しなかっただろうと調べてみて、1893年に建設された当時の門の写真を発見↓

↑書かれていた文字はボティネスではなく、本当の所有者二人の名前「フェルナンデス・イ・アンデレス」だった。
うねるような文字はとてもガウディ的。建物全体の印象を左右していたのだと感じた。

しかし、このオリジナルの門は所有者が変わった時に外されたのだろう。
名前が入っていたのだから。

今は…溶かされてしまったのでなければ元の場所にもどしてほしいものだ。

**
日曜日の晴れた朝。
ローマ時代の城壁↓

↓古代ローマの街にはつきものの水道管の跡もみつかっている↓

街ではローマ時代の遺跡が見つかった場所にはそれを表す「ローマ人の足跡」印を設置することにしたのだそうな↓


すぐ近くに日本の小泉首相が植樹した桜↓

仏教の思想からの言葉だというのだが、何からとられているのかはわかりませぬ↓


***
聖イシドロ教会へ

↑建物の中央部はロマネスク、右側と左のゴシック、門の飾り玄関はバロック。
↓「イサクの犠牲」を表したティンパヌムだが、

↑彫刻をあとからくっつけ合わせて再構成しているように見える。
↓内部、オリジナルのロマネスク形式を残している部分↓

↓柱頭の彫刻がおもしろい↓

↑これは何を表す?人の中の「獣」を乗りこなして生きろと言う警句?
チェッカー印がオリジナルの証

****
レオン大聖堂↓は、ローマ浴場があった場所に13世紀に建設された。それ以前あったロマネスクの聖堂はまったく残されていないが、フランス式ゴシック技術の粋を集めて建設された↓

↓入口の彫刻、地獄に飲み込まれてゆく人々の表現はパリのノートルダムのものとよく似ている

入口の木彫ドアもすばらしい


★スペインで随一のフランス式ステンドグラスではあるが、それぞれを細かく見ていくと時代によって大きく違う。

↑13世紀のものはひとつひとつのガラス片が小さく、ガラス自体の色彩が豊か。
工業製品とはちがって一枚一枚・部分部分の濃淡が違う。
ガラスの上に描かれた色彩はごくごく一部である

↓それに比べると16世紀のステンドグラス↓※1565と年号が書かれている

↓手の部分などが分かりやすいが、ガラス自体の色ではなく描いて色付けしているのだとわかる↓


↓再び、13世紀ゴシック時代のステンドグラス↓技術はフランスのシャルトルのものと同様


近くのアストルガの街に向かいます
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レオン到着の夜

2019-04-27 21:21:06 | スペイン
★2017年にレオンで「聖週間」の行列を見た時の写真をこちらからごらんいただけます

北スペインのカンタブリア海から内陸の街レオンへむかうととたんに青空がひろがってきた雪の残るカンタブリア山脈を見ながら走る

レオンはローマ時代からの街。中心部のホテルにチェックインして、市内を散歩してから夕食へご案内することにした。
↓こちらは中世の城壁

ロマネスクの後陣がうつくしい「巡礼の聖母教会」

↓全体を見るとずいぶん改築されている。13世紀ごろと推察される純粋なロマネスク教会はどんなだったのだろう↓

↓オリジナルの彫刻も残されている

美術館や展覧会に持ち出せないこういったモノこそ見る価値がある

↓17世紀の大火のあと建設された市庁舎↓


路地の向こうにフランス風ゴシックの大聖堂が見えてきた↓




週末の今日、民族衣装の家族がたくさん

「刺繍がきれいですね」と言うと誇らしげに微笑んでくれた


**
レストランは20時半から↓

スペインでは夕食にはまだ早いぐらいの時間なので店内は空いている
牛からつくるレオン名物のハム↓

↓地元の赤ワインと

クリームたっぷりの↓こちらは豚のハムが生かされたコロッケ↓

これ、もう一回食べたいです

↓季節のアスパラ?いえ、近くのサグワン名物のネギです↓

たっぷり専用ソースをつけていただきましょう(^.^)
午後九時半を過ぎても空には日の名残りがある

ローマ時代の城壁の下を歩いて↓

17世紀の市庁舎のある広場を通ると、爆音を鳴り響かせてカフェが営業していた↓

街の中心部のホテルに滞在するのは好きだけれど、今日はこの近くでなくてよかった(^.^)









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