旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

トロワ街歩き~マドレーヌ教会

2023-02-09 11:17:57 | フランス
「おしつぶされることを怖れず、祝福された復活を待つ者ここに眠る」
見事な彫刻の「ジュベ」を製作した職人ジャン・ゲルデは1519年この下に葬られ、墓碑にこう刻んでいた。

※「ジュベ」とは、聖職者席と参列者席を隔てるための壁。今ではフランス全土でも四つ(七つと書かれた資料もあり)しか残されていない。

「おしつぶされることを怖れず」とは、ジュベが重さで崩れることを指しているのだろう。
当時はこういった建造物が倒壊することは珍しくなかった。
完成後一週間、建築責任者が下で寝泊まりすることを課していた教会もある。

ジャン・ゲルデが何歳だったのかはわかっていない。
1492年に職人ギルドに加入し、トロワ大聖堂(Cathédrale Saint-Pierre-et-Saint-Paul de Troyes)の内装コンペでは落選し、生涯最後の十年間1508年から1517年までの十年でこの仕事をしあげたことから推測すると五十代中頃だったのではないか。
トロワで最も歴史あるマドレーヌ教会に、自分を採用しなかった大聖堂委員会を残念に思わせるようなジュベを、十年かけて完成させた。

↑16世紀当時祭壇に向かって右側には男性が座っていたから、ジュベも向かって右側に男性の聖人たちが刻まれている↑
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マドレーヌ教会はステンドグラスも必見である。
↑「エッサイの樹」はキリストの祖先にあたるユダヤの王たちを画面いっぱいカラフルに描いた16世紀はじめの作品↑
※「エッサイの樹」を主題にしたステンドグラスはシャルトル大聖堂にある12世紀のものが有名。2013年に訪れたブログに少し載せています
三百年後にトロワのステンドグラスを制作した職人も、シャルトル大聖堂の「エッサイの樹」を見ていたにちがいない。


↑こちらは左下から旧約聖書の「天地創造」↑シンプルな構図ほど青や黄色のステンドグラスの色が生きている。

↑左下の紋章は貴金属加工職人たちの組合紋章↑このステンドグラスを制作する費用を彼らがまかなったということ。描かれているのは彼らの守護聖人の聖エロワ(エリジウス)の生涯↑


↑こちらは資金を出した家族の全員が描かれている↑左には主人と息子↑
↑主人は腰から赤い財布を下げており↑中がからっぽなのが見えている↑

↑左には奥方と娘たち↑

↑彼はニット業者だったので↑赤いタイツを履いた男が美脚をアピールしている↑
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16世紀初期にイタリアからルネサンスの影響がもろに感じられる彫刻↓

↑「シャウスのマスター」とだけ伝わる職人が製作した聖マルタの像↓

↑手の表現に注目↑左手には怪獣タラスコをつなぐ引綱と聖水、右手にはおぞらく十字架を持っていた。
南フランスには怪獣タラスコ伝説がある。


↑説教壇への階段下に刻まれたロマネスク・ゴシックの怪獣彫刻も大好きです(^^)
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教会の建物外に↓英語で言うなら「イノセント・ガーデン(無垢の庭)」がある

ここには生まれてすぐに亡くなった子供たちが埋葬されてた。
かつて、教会に入ることができるのは洗礼を受けたキリスト教者だけだった。
洗礼を受ける前に死んだことで、子供であっても教会内部の家族の墓にはいることができなかったのである。
今も遺骨が見つかるこの庭には白い花だけが植えられる。
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トロワ街歩き~木組みの家々

2023-02-09 09:45:57 | フランス
シャンパーニュ地方の古都トロワの木組みの家々↑傾いてもよりかかりあってもちこたえている↑いちばん左の19世紀の建物との間に木材が差し込んであるのがわかるだろうか↑

2月9日朝、青空とキリっとした空気の中を歩きはじめた。

「中世のままよく残ったなぁ」と思いがちだが、そうではない。

↑ひとつ前の写真と同じ円柱形の螺旋階段、しかし向かいの家の壁に木の梁は見えない↑
↑1960年代に修復される以前、家々の壁はしっくいで覆われていたのだ↑
1524年に大火が街を焼き尽くし、直後に元通りに再建したが、火事を怖れて木組みは隠した。

↑しっくいを剥がして一軒一軒修復をほどこして↑大火以前・中世の雰囲気を取り戻したトロワ旧市街。

↑有名な「猫の小道」近くにあるメガネ屋さん↑この木組みも「中世そのまま」ではない↓

↑いちばん下に「MCMLXXXⅥ(=1986)」と修復した年が刻まれている↑その右側には「VINI VIDI(=来た、見た)」とカエサルの言葉を引用し、修復者のマークが続く↑

修復の時につけられたメガネをかけた猫の顔(^^)なるほど

↑「猫の小道」には猫が歩けるような細い梁。猫のためではなく、つっかえ棒として何本もわたしてある。

↑両側の壁は16世紀からのものだが↑下部だけ新しい木材に取り換えられている↑

↑この石は路地を通る荷車の車輪が建物に当たらないように置かれている↑

「この扉はよく見ると新しいでしょ」と、ガイドのクリスティーンさん。

「猫の小道」の表示と地元のシャンペンの看板


↑この家はまだ漆喰をはがしていない

↑木の柱の一部にマリア様↑
修復にはお金がかかる。
個人所有の家々だから修復費用はそれぞれの家が支払う。ただ、文化財指定されているから修復計画書を提出してOKをもらうと、重要度や事情を勘案して最大半額の補助がうけられるのだそうだ。



木組みの家々に囲まれた中庭に出る↑地下に続く階段は何だろう?
今はシャンパン蔵になっていたりするが、かつてはニット工房の作業場だった。
「湿度が高くてたいへんだったそうよ」とクリスティーンさん。

↑かつてのこの広場のスケッチ↑
今見えているのは「中世そのまま」ではなく、残されたスケッチなどを基に試行錯誤を重ね・たんねんに修復した成果なのである。

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