《手造の旅》台湾五日~日本とのかかわりに注目して旅する 第二回 二日目
春節の名残がそこここにある
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烏山頭ダムから台南の街へはいって、成功大学(鄭成功にちなんで1956年に名付けられた)の中庭には入る。※鄭成功についてはこのブログ内でもたくさん書いております。右上の検索空欄に「鄭成功」と入れて、右側を「このブログ内」にして右の検索マーク(虫眼鏡)をクリックしてください。
ここに、昭和天皇が皇太子時代の大正十二年(1923)に植えたガジュマルの巨樹がある↓
日本統治時代に軍の敷地から高等工業学校に変り、現在の大学に至るまでをずっと見守ってきた木。
これはとても幸いな事なのだ。
すぐ近くに「二番目に大きなガジュマル」があって、それは2015年の8月に台風で大きなダメージをうけたのだから↓
↓構内には清朝時代の城門のひとつが移設されている↓ゆっくり見たかったけれど時間が足りません
**
フルーツ天国の台湾、地元人気店にも行ってみよう。
入れるかしらん?と心配したけれど、今日の午後からぐぐっと気温が下がって寒いぐらいになったせいか、空いていた。
ずらりと並んだ選び抜かれたフルーツ↓
これは何?
「釈迦頭」というのだそうで、すごく甘い。
英語で通称シュガー・アップルというのだそうな。
食べてみると、どこかで味わったことがある甘さ。
・・・そうだ!柿、ディーツ(なつめやし)、タマリンドと同系統の甘さにちがいない。
↓この店のマストはこのフルーツシャーベット(^.^)
↓少し凍らせた台湾マンゴーの砂糖漬
***
鄭成功の廟にも寄る。
※これについてはこちらに書きました
****
赤崁楼では入口で体温チェックここはもともとオランダが建設した要塞のひとつだった↓
↓復元模型がこれ
↓現在のスタイルは鄭成功がオランダを追い出して以降の中華スタイル。もちろんこれも復元だが。
ここにある九個の石碑がおもしろい↓
※この亀と石碑の話はこちらに書きました
↓ここには他にも数えきれない石碑がある↓
多くは清国時代のものだが、日本時代に置かれたものがこれ↓
あれ?中華風?実は裏面に書かれている↓
写真でうまく入らなかったのだが、「昭和十九年」と記されている。
羽鳥又男は当時の台湾市長、戦禍の激しいさなかに文化を保護することに尽力していた人だ。
※この石碑についてこちらに書きました
↓壁は三層になっている↓いちばん下の部分がオランダ時代、その上(身長より少しうえぐらい)に清時代、いちばん上に日本が修復した部分↓
清時代には科挙試験の学問所にもなっていたので、学問の神様として「魁星」も祀られている↓
*****
夕食はいつもの「度小月」
↓ここでも入口で検温
↓ここのタンツー麺は台北の同系列店とも違う
エビ巻と、今日はカラスミとニンニク葱も
↓豚足も
↓デザートは「愛玉子(おうぎょうち)」
「愛玉子」はゼリーの部分を指す。
台湾固有の植物で山の中に自生するそうだ。
その果実が川につかってゼリー状のものが出ているのを発見したのがはじまりときいた。
これ、街角で売っておりました。
また、別に書きます。
春節の名残がそこここにある
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烏山頭ダムから台南の街へはいって、成功大学(鄭成功にちなんで1956年に名付けられた)の中庭には入る。※鄭成功についてはこのブログ内でもたくさん書いております。右上の検索空欄に「鄭成功」と入れて、右側を「このブログ内」にして右の検索マーク(虫眼鏡)をクリックしてください。
ここに、昭和天皇が皇太子時代の大正十二年(1923)に植えたガジュマルの巨樹がある↓
日本統治時代に軍の敷地から高等工業学校に変り、現在の大学に至るまでをずっと見守ってきた木。
これはとても幸いな事なのだ。
すぐ近くに「二番目に大きなガジュマル」があって、それは2015年の8月に台風で大きなダメージをうけたのだから↓
↓構内には清朝時代の城門のひとつが移設されている↓ゆっくり見たかったけれど時間が足りません
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フルーツ天国の台湾、地元人気店にも行ってみよう。
入れるかしらん?と心配したけれど、今日の午後からぐぐっと気温が下がって寒いぐらいになったせいか、空いていた。
ずらりと並んだ選び抜かれたフルーツ↓
これは何?
「釈迦頭」というのだそうで、すごく甘い。
英語で通称シュガー・アップルというのだそうな。
食べてみると、どこかで味わったことがある甘さ。
・・・そうだ!柿、ディーツ(なつめやし)、タマリンドと同系統の甘さにちがいない。
↓この店のマストはこのフルーツシャーベット(^.^)
↓少し凍らせた台湾マンゴーの砂糖漬
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鄭成功の廟にも寄る。
※これについてはこちらに書きました
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赤崁楼では入口で体温チェックここはもともとオランダが建設した要塞のひとつだった↓
↓復元模型がこれ
↓現在のスタイルは鄭成功がオランダを追い出して以降の中華スタイル。もちろんこれも復元だが。
ここにある九個の石碑がおもしろい↓
※この亀と石碑の話はこちらに書きました
↓ここには他にも数えきれない石碑がある↓
多くは清国時代のものだが、日本時代に置かれたものがこれ↓
あれ?中華風?実は裏面に書かれている↓
写真でうまく入らなかったのだが、「昭和十九年」と記されている。
羽鳥又男は当時の台湾市長、戦禍の激しいさなかに文化を保護することに尽力していた人だ。
※この石碑についてこちらに書きました
↓壁は三層になっている↓いちばん下の部分がオランダ時代、その上(身長より少しうえぐらい)に清時代、いちばん上に日本が修復した部分↓
清時代には科挙試験の学問所にもなっていたので、学問の神様として「魁星」も祀られている↓
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夕食はいつもの「度小月」
↓ここでも入口で検温
↓ここのタンツー麺は台北の同系列店とも違う
エビ巻と、今日はカラスミとニンニク葱も
↓豚足も
↓デザートは「愛玉子(おうぎょうち)」
「愛玉子」はゼリーの部分を指す。
台湾固有の植物で山の中に自生するそうだ。
その果実が川につかってゼリー状のものが出ているのを発見したのがはじまりときいた。
これ、街角で売っておりました。
また、別に書きます。