旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ダフタウンとスコッチ・ウィスキーのグレンフィディック

2017-08-21 17:26:03 | イギリス

ダフタウンは主要な通りが三本ほどしかない小さな町である。中心に1836年に建てられた時計塔がある↓

歴史を読んでいると、ナポレオン戦争から帰還した兵士たちが1817年に新しく建設した町なのだそうだ。19世紀にも、ローマの軍団兵の入植のような話があったのを知る。

ここはスコッチ・ウィスキーの故郷、スペイ川近く。町中にウィスキーの宣伝がある。醸造所も近くにたくさんある 

お茶に入った店では、ウィスキー樽を再利用した家具を販売していた↓

「天使の分け前」と名付けた、こんなお土産があるのも、ウィスキーの町ならでは↓

***

すぐ近くのグレンフィディック醸造所を見学に行く。グレンフィディックは1887年の創業者ウィリアム・グラントの作り方を受け継いでいる。世界で初めてシングルモルトの製品を世に問うた会社。

キルト姿のガイドさんが、製造過程を追いながら熱を込めて語ってくれた↓ 

いちばん驚いたのが、モルトをつくるのに、泥炭を焼いた煙をつかっていないこと。なんと、ウェールズ産の石炭を焚いていた↓

「スコッチウィスキーというのは、スペイ川周辺の泥炭を焼いてモルトをつくるからこそ、そう呼ばれる」と、思い込んでいた。グレンフィディックは冷静に味を追求して、このやり方に行きついたのだろう。

シングル・モルトの製品をはじめて売り出したグレンフィディック社にして、こういう思い切った改革をしていたのか。たいしたもんだ。

発酵過程の管理は、今でも手書きの黒板をつかっていた→

「いちばん重要なのは、あの山ロビードゥーの(と指差す)水を使うこと」とガイドさん。製造のあらゆる過程で使う水を、同じこの山からのものを使っているのだそうだ。これが、グレンフィディックの今のいちばんのこだわり、と理解した。

泥炭を焼く煙を使わなくても、泥炭地をながれてくる茶色の水を使っていれば、スコッチらしいウィスキーに仕上がるということなのかもしれない。

「水」を守るために、グレンフィディックは1200エーカーという土地を購入したのか。社の敷地もこんな↓

モルトの原料を運び込んでいた↓

****さて、試飲。

四種類をためさせてくれた↓

熟成年の違いではないのが、一番右のIPA。これは(シェリーでもバーボンでもなく)ビールの樽をつかって熟成させたもの。ウィスキーの味はよくわからない小松でも、このIPAは違って感じられた

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ダンノッター城

2017-08-21 13:26:57 | イギリス

スコットランドで最も印象的な城のひとつに数えられるダンノッター城↓

北海に突き出した孤立した断崖にある。17世紀半ば、清教徒革命がはじまるとスコットランド王になるための三種の神器がここに避難していた共和国イギリス・クロムウェルの軍は1650年から八ヶ月にわたり包囲したが落とせなかった。これらは今もエジンバラ城に保管されていて、次のスコットランド王戴冠式にも使われるだろう。

**

アバディーンから南へ三十分ほど走ると、専用の駐車場がある。入場しないで城の全容を見るだけの人も駐車料金はとられる。

少しだけこんな道をあるくと、見えてきた↓

城への道は最初少し降りてから登らなくてはならない。一か所しかない出入口↓

現在残る最も古い部分は1392年からの四角い塔。展示された模型でよくわかる↓

上がっていく途中にある「ライオンの穴」には、実際にライオンが飼われていたそうな。ずっと吠えていて、侯爵夫人が文句を言った。寒い土地に連れてこられたライオンは適応できなかったのだろう、長く生きられなかったそうな。

クロムウェルの軍隊を退けた城だったが、18世紀の「ジャコバイト討伐」では陥落し、廃城となった。19世紀にはその廃城を楽しむ観光がすでにはじまっていて、彼らの「使い捨て陶器製のパイプ」がたくさん発掘されたのだそうだ↓ 後ろに見えるのは戦争の時の弾です↓

断崖に囲まれた城↓

水の確保はいちばんの課題↓貯水槽がある

キース家の当主がつかっていたと思われる部屋には、紋章が刻まれた壁が↓

一部屋だけが、屋根付きで復元されている。置かれていた椅子は、「ダンノッター号」と名付けられた船の備品だった↓

印象的な岬の廃城であります↓

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