グラスゴーのはじまりは6世紀。現在大聖堂のあるクライド川の河岸高台に聖マンゴーが修道院をはじめたことによる。現在見られる聖マンゴー大聖堂は1136年に教会として使いはじめられた、スコットランドでは数少ない中世からの建物である↓
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前に立つ像は、リビングストン。医療宣教師としてアフリカをはじめて横断した人物。台座にはアラブ人に支配されていたアフリカ人を象徴する彫刻が刻まれている↓ターバンをしていることでアラブ人を表しているわけだが…
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グラスゴー市の紋章↓
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※この図の意味ずるところを、こちらに解説しました
近くには1471年からの古い四軒長屋が残されている。この建物はだいぶん復元したものかもしれないが、丸い塔が中世の雰囲気を感じさせる↓
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大聖堂入口↓中世ゴシック↓
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内部はシンプル↓
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カトリック時代には豪奢に飾られていたに違いないが、それらを自主的にとりはらうことによって、1560年代の宗教改革時にこの教会だけは取り壊しをまぬかれたのだった↓その取り払われたモノの跡が柱や壁に今も見られる↓
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見上げる天井は木製↓
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ステンドグラスはすべて新しいもの。古いものは、やはり宗教改革の時に自主的に破壊された。
二十世紀に地元のステンドグラス作家によってデザインされた青が美しいステンドグラス↓
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地下聖堂に降りてゆく↓
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そこには中世以来の聖マンゴーの遺体または遺物が残されてる↓こういうものをたくさん持つことが巡礼を集める手段だったのである↓中世は、巡礼をたくさん集めることが教会だけでなく町の繁栄にとても重要だった時代だ↓
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薄暗い壁にかけられた新しいタペストリーは、アン王女が奉納したものだそうだ↓
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聖歌隊席の一角獣↓たぶんもともとの角は折れてしまったので、小さいのを付け直した?
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主祭壇の左右に陸海両軍の椅子が置かれている↓
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海軍の椅子には、密かにテントウムシが隠されている↓
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再びバスに乗り、市街をめぐる。ジョージ・スクエア以前に町の中心だった、GLASGOW CROSS「交差点」が見えてくる。真ん中に立つ細い塔は1625年に建設された当時の市庁舎にあたる建物の一部だった↓
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※この塔の変遷について、こちらに少し書きました
近くにあった、マーケット・クロスは、アバディーンで見かけたものとよく似ていた↓
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***バスに乗ってクライド川沿いを移動。かつて港湾地区の中心だったエリアにはその名残が感じられる。新しく建設されたアーチ形の白い橋の右側に立っている古い鉄塔は、フィニストン・クレーンと言われるもので最大揚力175トン。1932年生で今はもう使わないけれど、グラスゴー造船の記憶として残されている↓
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幕末、長州から伊藤博文らと密行してきた山尾庸三は、ここグラスゴーで造船と工業を学んでいた。当時、世界の船の二割をつくっていたというグラスゴーの港をみて、「いつか日本も」と誓ったそうな。
※山尾庸三は長州藩から密行というかたちでの渡英だったので、ロンドン滞在中に学費が払えない窮地に陥った。それを助けたのは薩摩から豊富な資金援助のもとに渡英してきていた留学生たちだった。十六人が一人一ポンドずつを出し合い、山尾の希望であったグラスゴー行を実現させてやったのだそうだ。
本国日本では対立していた薩長だったが、遠いイギリスまでやってきてしまえば、自然に協力する気持ちになったのはよく理解できる。
明治維新前後において、日本とスコットランドの関係は思ったよりも深い。トマス・グラバーがスコットランド人であったことも大きいのだろう。
造船業は二十世紀後半には衰退していき、荒廃した港は二十一世紀に入ると再開発がすすんでいる。↓2013年にノーマン・フォスターが設計した3000席のコンフェレンス・センターは、通称「アルマジロ」と呼ばれている↓なるほどね
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↑上の写真で右側に見えるROTONDAと書かれたレンガの建物は、エレベーター!地下に向かって降りてゆき、川底の通路を通して対岸へモノや人を移動させるためにつくられたものだった。なるほど、対岸を見ると同じ建物がもうひとつある↓あそことつながっていたのか
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****バスは再び高台へ、美術館の前から見える大学↓グラスゴーって多面的な魅力があります↓
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↓ケルビングローブ博物館・美術館は1888年に開催された博覧会の展示物を収蔵するために、博覧会の収益によって建設されたとされる↓
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その後もコレクションは増え続けて、現代美術も混在している↓
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後にアール・ヌーボー、アール・デコと呼ばれることになる新しいデザインを実用的に使ったチャールズ・マッキントッシュの作品も多く収蔵されている↓お昼に行ったティールームの模型
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マッキントッシュにティールームを依頼したキャサリン・クランストン↓
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彼女自身が新しいデザインを好んだので、ウィローティールームが出来た。何事も理解あるパトロンが存在することが必要なのです。
チャールズ・マッキントッシュは大学時代に出会ったマーガレットと結婚している。マーガレットもその妹のフランシスも優秀なデザイナーだったが、女性の名前で展示会に出すことが難し時代で、チャールズと共作ということでウィーンの分離派展に出展された、金屏風のような作品↓グスタフ・クリムトはこの作品を見た筈だ。影響も受けているにちがいない。
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ジャポニズムと呼ばれる日本美術の影響は顕著。この証明は日本の行燈のようだ↓
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代表作でオリジナルのまま現存していたグラスゴー美術学校の図書館↓の写真
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ここはなんと2014年に焼失してしまっていた!
あぁ、前回小松がグラスゴーに来た時にはまだ見られていたのか、残念!
モノも人も、いつまでもそのまま存在してはおりませぬ。
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絵画セクションも充実しているが、ひとつだけ紹介。
ゴッホを生前に評価したグラスゴーの画商アレキサンダー・リードの肖像画↓
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1887年のパリに住み、ゴッホの弟のテオと知り合い、短期間モンマルトルのアパートにも同居した(と書かれた資料あり)。テオを通じて知り合った兄のゴッホに才能を感じてこの肖像(と全身像もあるらしい)を描かせた。
おもしろいのは、1928年まで描かれた人物はゴッホ自身=自画像だと思われていたこと。
アレキサンダー・リードの息子が偶然ゴッホのカタログでこの絵を見て「父に違いない」と確信し、ゴッホの遺族に連絡して、アレキサンダー・リードだと判明したのだった。
ゴッホの亡くなった翌年には弟のテオも死んでしまっていたので、事情を知る者はいなくなっていたのか…。
経済的繁栄の頂点にあったグラスゴーには、ちゃんと文化も理解する人物がいたのだ。
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芝生では「ボーリング」に興じる年長者の方々↓
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ピンを倒すタイプはあとからできたので「ピン・ボーリング」と別の呼び方をされる。
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グラスゴーで最後に訪れたのは、英語圏で四番目に古い創立とされるグラスゴー大学。
オックスフォード、ケンブリッジ、セント・アンドリューに続き1451年にスコットランド国王ジェームズ二世により創立↓正門↓
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正門の柵には、創立王のジェームズ二世と妃の名前が一番下に↓
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著名な卒業生の中でもアダム・スミスは別格だろう↓
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グラスゴー、次は一泊して一日を見学に充てたい街であります(^.^)