旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

アバディーン~《手造の旅》スコットランド 1,2日目

2017-08-20 13:58:13 | イギリス

アバディーンはスコットランドの北東岸に位置する、スコットランド第三番目の都市。ロンドンではなくパリからの便で到着した。夏なので19時をまわってもこの明るさ。耕作地をながれる蛇行した川↓

アバディーンは1970年以降北海油田の町として有名になった。空港にも油田プラットフォームの写真がそこここに見られる↓

空港から港に近い中心部までは四十分ほど。メインストリートのユニオン通りにはいってきた↓突き当りに見える丸い時計がついた塔が市庁舎だ↓

前を走る自転車は「デリバルー」という、好きな食事を家までお届けする新ビジネス。日本にもはいってくるかしらん?

ホテルはニュー・アバディーンの中心にあるメルキュール↓

谷を挟んで向こう側に教会の塔が見えた。レセプションで、「あれはなんていう教会?」ときいてみると・・・↓

「あれは今はナイトクラブになってるのよ」とのこと。部屋に荷物を置いてちょっと散歩にでると、なるほど、こんな感じのお店になっている↓

周辺は古い雰囲気のあるパブがたくさんある↓

アバディーンは北海油田の発見以前からちゃんと歴史を刻んできた大都市だったのが感じられる。ユニオン通り↓

エドワード七世(ビクトリア女王の息子、映画「キングス・スピーチ」の厳格な父ジョージ五世の父にあたる人物 1910年没)の像↓

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翌朝、朝食バッフェで、スコットランドらしく「ハギス」があった→ また、散歩にでてみよう。気温は20度ぐらいだろうか。風はなくちょっと肌寒いぐらい↓

★アバディーンは港町の筈なのだが、このあたりを歩いているとまったくそんな感じがしない。しかし、地図を見ると港はそれほど遠くないようなので、坂道を少し降りてゆくと…あ、フェリーが停泊している港がたしかにあった↓

海洋博物館もの途中にある↓今回は時間がないけれど、次に(いつ?)訪れてみたいなぁ…

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市庁舎のところまで戻る↓

広場にの真ん中に、歴史を感じさせる六角形のモニュメントがたっていた↓

頂上にはスコットランドの白い一角獣。まわりのパネルには、スコットランドの王様たちの肖像。これはいつぐらいのものかしらん?どんな王様が刻まれているのか、見てみよう↓

一番古い時代のものは、下の写真右のジェームス一世だった↓「IA1R」は、ラテン語での「ジェームス一世王」の略表示。左は「IA2R」でジェームス二世↓

次のパネルは右がジェームズ三世「IA3R」、左がジェームズ四世「IA4R」↓

次が「IA5R」ジェームス五世、そして下左が有名な・メアリー・スュチュワート女王↓

彼女はスコットランド王ジェームス五世の正室の子であり、父方の祖母がイングランド王ヘンリー七世の娘だったので、イングランドの王室からの正当な血統を継いでいる。 けれど、男と数々のスキャンダルを起こしスコットランドを追放されてしまった。エジンバラのホーリールード宮殿には、「夫殺し」の時の刀傷が今日でも残されている。

スコットランドを追われた彼女はイングランドのいとこ=エリザベス一世女王に庇護されるが、エリザベス一世よりも正しい血統であることを懸念されて、反逆罪で処刑された。

処女王と呼ばれたエリザベス一世が後嗣無く没すると、イングランドの王位はエリザベス一世が処刑したこのメリー・スチュワートの息子=ジェームス六世が指名された↓「IA6R」(下写真右)ジェームス六世がその人であります↓

**その息子チャールズ一世「CA1R」は、清教徒革命でクロムウェルに首を切られた王↓

クロムウェルの時代は十年ほどしか続かず、チャールズ一世の息子が1660年亡命先から帰国し、チャールズ二世「CA2R」↓(下右)として即位した↓ チャールズ二世は愛人ばかりで嫡出がなかったので、1685年に没すると弟のジェームズ七世「IA7R」↓(下左)が即位。しかし、カトリック寄りの政策が不評で、1689年に議会によって廃位された。名誉革命であります↓

 

 

スコットランドでは、この名誉革命でオランダから呼び寄せられて即位したウィリアム三世を認めない一派が度々反乱を起こすようになる。「ジャコバイト」=ジェームスの血筋を王とかんがえる人々、の反乱である。

※反乱の最後にして最大の戦いが1746年、インヴァネス近くカローデンでのもの。敗れたジェームス七世の孫はスカイ島出身のフローラ・マクドナルドに助けられて国外脱出。最後は弟をたよってローマに亡命を受け入れられ、そこで亡くなる。墓はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂にある。

このモニュメントに名誉革命以後の王がいないのは意図的にそこまでにしたのか? 名誉革命前以前に制作されたものだからか?わかりませぬ。

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ホテルの入り口目の前に、「蛍の光」の詩を書いたのでしられる、ロバート・バーンズの立像↓

入り口から左へ百メートルほどでウィリアム・ウォレスの巨大な像↓

19世紀も半ばになって、ようやくスコットランド人は自分たちの父祖を讃えることができるようになり、かつての「反逆者」にもこうして銅像になった。※こちらにもう少し書きました。

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ニューアバディーンでいちばん立派な建物が、このマーシャル・カレッジだろう。世界で二番目に大きな花崗岩建築だと説明された。アバディーンは花崗岩の産地でもあるのだ↓

マーシャル・カレッジは、1593年に第五代マーシャル候ジョージ・キースによって設立された。マーシャルとは軍隊の階級のようなもので(元帥をあらわすMarshallとは綴りが違うが)、1314年にイングランドの軍隊を打ち破ったバノックバーンの戦いの後、ロバート・ザ・ブルース一世がキース家に与えて初代がはじまった。

正面入り口にはその歴史を現す紋章が掲げられている↓後に1495年創立のキングスカレッジと合同して「アバディーン大学」と呼ばれるようになったので、中央は二つが組み合わされた紋章になっている↓中央右がマーシャルである五代目キース家の紋↓その右がアバディーンの市の紋↓

右側が司教の紋、司教冠がついている↑

この建物は古いカレッジの建物を1835年に建てなおして巨大になった 。世界第二位の大きさの花崗岩建築(一位はスペインのフェリペ二世が建てた「エル・エスコリアル」)

角の時計塔だけまだ洗浄がおわっていなくて真っ黒なまま↓

入り口にはロバート・ザ・ブルース王の騎馬像↓

大学にしては入場警備が厳しいとおもったら、ここは現在市の行政がおこなわれている。大学が建物を貸しているのだそうだ。

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アバディーンの町はどんどん開発がすすんでいる。古い教会に付属していた煉瓦の塔がぽつんとのこされていてが・・・↓

↓この塔を取り込む形での再開発が進行中だった↓

完成予想図がこちら↓

さて、いつか再訪した時、こんな風になっているかしらん。


 

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