《手造の旅》北スペイン、第三日目午後。
巡礼の道はかつてたくさんの川が難所だった。アルゴ川にかけられた11世紀の橋が現代でも残っている。町の名前もプエンテ・ラ・レイナ(女王の橋)
大王と呼ばれたサンチョ三世の妃で、これまた(ラ・マヨール=大王妃?)と呼ばれたムニアによってかけられた。
橋ができるとそこに人が集まる。教会も美しく飾られていく。入口はアラブの影響を受けた形。彫刻は風雪を経てそのまま。内部は初期ゴシックのフォルムと木彫像
**
エウナテ教会は草原にぽつんとその八角型の姿をあらわす。
西欧でよくある十字架やバジリカ型でないのは、ここが十字軍騎士団のひとつテンプル騎士団によって建てられたから。彼らがかつて本拠としていたエルサレムの神殿を模しているのだ。
内部はがっしりしたロマネスクのドーム。小さな明り窓も八角型。
「エウナテ」とは「門」を意味するとか。かつては建物とつながっていたといわれる回廊。その彫刻もおもしろい。
***
イラチェという街の修道院。そばのワイン蔵では巡礼たちが自由に飲めるワインの出る蛇口がある。「ワインの泉」の看板に従って坂をおりるとありました。赤ワインと水の蛇口。この時期はおいしく飲めるけれど、夏は煮えたぎるように熱くなっているのだそうだ。
****
ヴィアナという街。チェーザレ・ボルジア終焉の地。教会の入口に彼を記念するプレートが置かれている。が、彼が本当にそこに葬られたかどうかはわかってない。
ルネッサンス時代のローマ法皇アレッサンドロ六世はもともとスペインの貴族ボルジア家の出身。彼の息子チェーザレはイタリアを強力に束ねようとしたけれど、父の死と共に失脚していた。故郷スペインのナバラ王国で主導権争いをしていた義弟ジャン・ダルブレを助けに介入。司令官に任命されたが早々にここヴィアナの戦いで戦死したのである。似ているかどうかわからない胸像も建てられている。
*****
18時頃にはラグアルディアのホテルに到着。
旧市街へ、夕食ついでに歩きにいこう。城門をくぐるとすぐにロマネスク彫刻の美しい教会だ。
この彫刻の主題は?
街を歩いていると音楽がきこえてくる。続々おじさんたちの楽隊があらわれた。
この話はこちらからお読みください。
夕食はまたまたバルでいろいろつまみましょう。ここの生ハムはイベリコなんかではないそうだが、とてもおいしかった。別にブランドなんてどうでもよいのです。
我々がたべおわった20時半頃、楽隊を終えたおじさんたちでバルはいっぱいである。
巡礼の道はかつてたくさんの川が難所だった。アルゴ川にかけられた11世紀の橋が現代でも残っている。町の名前もプエンテ・ラ・レイナ(女王の橋)
大王と呼ばれたサンチョ三世の妃で、これまた(ラ・マヨール=大王妃?)と呼ばれたムニアによってかけられた。
橋ができるとそこに人が集まる。教会も美しく飾られていく。入口はアラブの影響を受けた形。彫刻は風雪を経てそのまま。内部は初期ゴシックのフォルムと木彫像
**
エウナテ教会は草原にぽつんとその八角型の姿をあらわす。
西欧でよくある十字架やバジリカ型でないのは、ここが十字軍騎士団のひとつテンプル騎士団によって建てられたから。彼らがかつて本拠としていたエルサレムの神殿を模しているのだ。
内部はがっしりしたロマネスクのドーム。小さな明り窓も八角型。
「エウナテ」とは「門」を意味するとか。かつては建物とつながっていたといわれる回廊。その彫刻もおもしろい。
***
イラチェという街の修道院。そばのワイン蔵では巡礼たちが自由に飲めるワインの出る蛇口がある。「ワインの泉」の看板に従って坂をおりるとありました。赤ワインと水の蛇口。この時期はおいしく飲めるけれど、夏は煮えたぎるように熱くなっているのだそうだ。
****
ヴィアナという街。チェーザレ・ボルジア終焉の地。教会の入口に彼を記念するプレートが置かれている。が、彼が本当にそこに葬られたかどうかはわかってない。
ルネッサンス時代のローマ法皇アレッサンドロ六世はもともとスペインの貴族ボルジア家の出身。彼の息子チェーザレはイタリアを強力に束ねようとしたけれど、父の死と共に失脚していた。故郷スペインのナバラ王国で主導権争いをしていた義弟ジャン・ダルブレを助けに介入。司令官に任命されたが早々にここヴィアナの戦いで戦死したのである。似ているかどうかわからない胸像も建てられている。
*****
18時頃にはラグアルディアのホテルに到着。
旧市街へ、夕食ついでに歩きにいこう。城門をくぐるとすぐにロマネスク彫刻の美しい教会だ。
この彫刻の主題は?
街を歩いていると音楽がきこえてくる。続々おじさんたちの楽隊があらわれた。
この話はこちらからお読みください。
夕食はまたまたバルでいろいろつまみましょう。ここの生ハムはイベリコなんかではないそうだが、とてもおいしかった。別にブランドなんてどうでもよいのです。
我々がたべおわった20時半頃、楽隊を終えたおじさんたちでバルはいっぱいである。