旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

女王の橋⇒エウナテ教会⇒ワインの泉⇒ヴィアナ(チェーザレ・ボルジア終焉の地)⇒ラグアルディア

2012-05-19 08:12:22 | スペイン
《手造の旅》北スペイン、第三日目午後。
巡礼の道はかつてたくさんの川が難所だった。アルゴ川にかけられた11世紀の橋が現代でも残っている。町の名前もプエンテ・ラ・レイナ(女王の橋)
大王と呼ばれたサンチョ三世の妃で、これまた(ラ・マヨール=大王妃?)と呼ばれたムニアによってかけられた。
橋ができるとそこに人が集まる。教会も美しく飾られていく。入口はアラブの影響を受けた形。彫刻は風雪を経てそのまま。内部は初期ゴシックのフォルムと木彫像

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エウナテ教会は草原にぽつんとその八角型の姿をあらわす。
西欧でよくある十字架やバジリカ型でないのは、ここが十字軍騎士団のひとつテンプル騎士団によって建てられたから。彼らがかつて本拠としていたエルサレムの神殿を模しているのだ。
内部はがっしりしたロマネスクのドーム。小さな明り窓も八角型。
「エウナテ」とは「門」を意味するとか。かつては建物とつながっていたといわれる回廊。その彫刻もおもしろい。

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イラチェという街の修道院。そばのワイン蔵では巡礼たちが自由に飲めるワインの出る蛇口がある。「ワインの泉」の看板に従って坂をおりるとありました。赤ワインと水の蛇口。この時期はおいしく飲めるけれど、夏は煮えたぎるように熱くなっているのだそうだ。

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ヴィアナという街。チェーザレ・ボルジア終焉の地。教会の入口に彼を記念するプレートが置かれている。が、彼が本当にそこに葬られたかどうかはわかってない。
ルネッサンス時代のローマ法皇アレッサンドロ六世はもともとスペインの貴族ボルジア家の出身。彼の息子チェーザレはイタリアを強力に束ねようとしたけれど、父の死と共に失脚していた。故郷スペインのナバラ王国で主導権争いをしていた義弟ジャン・ダルブレを助けに介入。司令官に任命されたが早々にここヴィアナの戦いで戦死したのである。似ているかどうかわからない胸像も建てられている。

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18時頃にはラグアルディアのホテルに到着。
旧市街へ、夕食ついでに歩きにいこう。城門をくぐるとすぐにロマネスク彫刻の美しい教会だ。
この彫刻の主題は?
街を歩いていると音楽がきこえてくる。続々おじさんたちの楽隊があらわれた。
この話はこちらからお読みください。
夕食はまたまたバルでいろいろつまみましょう。ここの生ハムはイベリコなんかではないそうだが、とてもおいしかった。別にブランドなんてどうでもよいのです。
我々がたべおわった20時半頃、楽隊を終えたおじさんたちでバルはいっぱいである。
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ザビエル城、サングエサ、パンプローナ

2012-05-19 07:14:32 | スペイン
《手造の旅》北スペイン第三日目、ハビエル城⇒サングエサ⇒パンプローナ⇒プエンタ・ラ・レイナ⇒エウナテ教会⇒イラチェ⇒ヴィアナ⇒ラグアルディア泊

朝、泊まっていたレイレの修道院近くの山へ、途中まで上がっていった。
★「聖ヴィリラの泉」は、九世紀にレイレの修道院長だったヴィリラが、「神秘と真実を見たい」と神に祈って山にはいり、そこで見つけた泉。
ナイチンゲールのさえずりに眠り込んでしまい、目覚めて山を降りると修道院には誰ひとり知った人がいない。修道院の三百年も前の記録に「山に入って消えた人物」として自分の名前があることを知って、神が自分の望みを叶えてくれた事を理解した。そういう「スペイン版うらしま太郎」話。玉手箱は出てきませんが(笑)

途中から道が荒れてきて、ほとんど人が来ないのがわかる。朝食前の散歩にはきつい目的地だとわかり断念。それでも、修道院の全景がみられてよかった。
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レイレからザビエル城までは三十分ほど。
日本へキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの生まれた城である。
今日は中世を再現した祭りがあるそうで、露天がたくさん出ていて、おもしろい動物もいた。こちらネコ科のスーパーモデル(笑)城内部の展示はザビエルの生涯を紹介する人形や彼の家系図。ゆかりの品といっても多くは後代に日本で描かれた軸や「同時代の」アジアの物というだけ。

ここの見ものは城の建物そのものである。中世に見張り塔として建てられた一本の四角い塔のまわりにこの城が築かれていったのが視覚的によくわかる。
もともとできたときはこんなふうだったのだと模型が教えてくれる。
塔の上からの眺め
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サングエサは巡礼路の川のたもとによくある小さな古い村。アラゴン川はアラゴンとナバラの両王国を隔てており、ナバラ領にを守るための砦が近くの丘の上にあった。両国が合併して国境紛争地帯でなくなった12世紀に住民たちが丘から川のたもとへ移住。1122年に都市権が与えられてサングエサの街が誕生した。ここを訪れる目的はひとえにサンタ・マリア・レアル教会のロマネスク彫刻のファサード
おもしろすぎます※これについてはまた別のところに書きます。

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パンプローナはナバラの首都。牛を街に放して人間が逃げる祭りでゆうめい。きけばこういう祭りは近くの村に結構あるのだそうだ。7月6日、この市庁舎での宣誓で祭りが始まる。
若きヘミングウェイがこの祭りを小説「陽はまたのぼる」に登場させて有名にした。牛が追い込まれる闘牛場の入口に彼の胸像がある。
内部はいつもは閉まっているのだが、今日は「オクトーバーフェスト」をやっていたので入れた。なぜかそこだけミュンヘンのビアフェスティバル。
ミルクキャラメルの試食をくばっていた。パンプローナ土産として有名だそうだ。

雨も上がって、そろそろ昼食ですね。この広場に面したアーケードでいろいろ食べましょ。
初めて食べたがおいしかったのが、ピミエンタ・デ・パドロン(パドロンのシシトウ)。素揚げで塩をふるのが基本だそうだが、ここでは衣をつけてフライにしたものもでてきた。面白いのは全く同じに見えるのに、たまに激辛のものがあるということ。
きのこオムレツとメニューにあったので、まさかこんな四角いのが出てくるとは思わなかった。味はとてもよい。
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