【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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中川右介『カラヤンとフルトヴェングラー』幻冬舎、2007年

2008-04-25 00:47:33 | 音楽/CDの紹介
中川右介『カラヤンとフルトヴェングラー』幻冬舎、2007年
             カラヤンとフルトヴェングラー (幻冬舎新書 な 1-1)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の結成は、1882年です。126年前の話です。ベンヤミン・ビルゼという興行師が所有していたオーケストラのメンバー54人がビルゼの運営方針に反旗を翻して作ったのです。以来、このオーケストラの主席指揮者は歴代6人。

 本書はこのベルリン・フィルの3代目指揮者フルトヴェングラーと4代目指揮者カラヤンを中心とした1934年から54年までの20年間の物語です。興味深いのは何故、カラヤンが4代目になったかということです(カラヤンの後がクラウディオ・アバド、サイモン・ラトル)。

 別の有力候補がいました。セルジュ・チェリビダッケがその人です。彼は1945年から54年にかけて400回以上ベルリン・フィルを指揮していました。これに対し、カラヤンはフルトヴェングラーに嫌われていたこともあり、1938年に初めてベルリン・フィルを振ってから54年までに指揮をしたのはわずか10回でした。どうしてそんあ経歴の指揮者がベルリン・フィルの4代目首席指揮者になれたのでしょうか?

 この経緯を、著者はナチがドイツを支配していた頃の音楽状況を解き明かしながら、フルトヴェングラー、カラヤン、チェリビダッケのそれぞれの確執、三者のベルリン・フィルとの関係を浮き彫りにしています。とくに、カラヤンが商才にたけ、野心があり、権力志向が強く、かつてナチ党員であったにもかかわらず、巧妙に戦後のナチ批判の空気を読んで、頂上に上りつめていく過程は、「そういうことだった」のかと納得させられました(フルトヴェングラー自身はナチを嫌っていました。ナチスの政策を芸術家の立場から批判したヒンデミット事件が有名です[pp.20-34])。しかし、政治がわからず、空気を読めず、ヒトラーに完璧に利用されていました)。

 膨大な資料を読みこなして書かれていますが、筆者自身が書いているように「人々の内面、感情については、想像して書いた部分があることをお断りしておく。もとより、人間の内面などというのは、自分自身ですらはっきりしないものだ。・・・ここのあるのは、3人の音楽家たちの言動の背後にあったであろう、その時々の感情や心理の、一つの解釈」(p.307)ですので、その点は抑えて読まないと誤解が生じかねません。要注意。

 著者による3人の性格づけは、フルトヴェングラー(1886-1954)の音楽的才能は疑う余地がないが、性格的には優柔不断、猜疑心が強い、女性にはもてた、カラヤン(1908-1989)はレコードの売上枚数で市場最大、その音楽は表面的に美しいが、精神性に欠けるとの表もある、性格は気難しい、独善的、自分に忠誠を誓うものには面倒見はよかった、チェリビダッケ(1912-1996)の音楽的才能ついての評価は両極端。性格はよく言えば情熱的、悪く言えば感情の起伏の激しい激情家。異端の指揮者。(pp.9-10)

 面白く読めましたが、事実羅列的です。いつ、どこで、誰が、何を演奏したかということが、必要以上に細かく疲れました。