【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

高木凛『沖縄独立を夢見た伝説の女傑・照屋敏子』小学館、2007年

2008-04-12 10:46:05 | 評論/評伝/自伝
高木凛『沖縄独立を夢見た伝説の女傑・照屋敏子』小学館、2007年
          沖縄独立を夢見た伝説の女傑 照屋敏子
 照屋敏子(1915-1984)の評伝です。糸満で生まれ17年、幼少時代の魚売りで鍛えられ、19歳で糸満尋常小学校の恩師、照屋林蔚と結婚。それ以前から南洋にくりだし貿易に関与していていましたが、その後、那覇(照屋家)、鹿児島(疎開)、福岡(沖ノ島漁業団)、シンガポール(春光水産公司)、そして那覇に(クロコデールストア)、糸満(農水産研究所)と縦横無尽の活動でその人生を駆け抜けました。

 商才と喧嘩にたけ、糸満を本拠地とし、沖縄独立を夢見て獅子奮迅の活躍をした女傑の物語です。

 上記に紹介したもの以外にも、マッシュルーム栽培、鯉の養殖、メロン栽培、車エビ養殖、アオウミガメ増殖研究、スピルリナ試験栽培など多角的な経営を行いました。収益は大きかったものの、飽くなき事業拡大で借金も大きかったのです。

 「海の雌豹」「女山田長政」「女次郎長」の異名をとり、ヤクザともわたりあった敏子はその男勝りの気質のゆえに、娘と婿、息子たちとはそりがあわず生涯孤独でした。

 著者は敏子の破天荒な行動力、向こう見ずな実行力を「幻想力」となずけています。「敏子は自分の描いた幻想に持てるエネルギーと財力を惜しげもなく注ぎ込んで、敏子にとっての夢の沖縄、沖縄幻想を描いた」(p.209)と著者は書いています。

 敏子の沖縄独立論は、評論家の大宅壮一の主張に共鳴したからです(p.227)。

 著者が本書の執筆を思い立ったのは、敏子の親友であった石井好子に「照屋敏子を書いてごらんなさい」という手紙が発端だそうです。

 著者は脚本家であり、沖縄懐石「赤坂潭亭」主人でもあります。