【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

石崎津義男『大塚久雄 人と学問』みすず書房、2006年

2011-11-26 00:14:54 | 評論/評伝/自伝

        
 「大塚史学」で著名な大塚久雄(1907-96)。タイトルに「人と学問」とありますが、その学問については多少なりとも知識がありましたが、「人」の部分に関してはあまり知りませんでした。本書はその人と学問をトータルにバランスよく解説しています(丁寧に説明され、無駄な記述がなく、すっきりしています)。

 その大塚久雄は京都に生まれ、父は湯浅蓄電池(株)の重役であり、6人兄弟の3番目でした。三高まで進んだのですが、大学は東京帝大経済学部に入学しました。京都の高校にいながら大学を東京に選んだのは、三高の教授山谷省吾が「若い時には一度広い世界を見ておくことも悪くはない」と言う言葉が大塚の脳裏に強く残ったからのようです(p.21)。

 学生時代に内村鑑三、矢内原忠雄らと邂逅し影響を受けました。父親がマックス・ウェーバーの『社会経済史原論』を買い与えてくれたことがあったにもかかわらず、その頃はまだ関心をもてなかったようです(大塚がマックス・ウェーバーに沈潜していくのは、東大助手の2年目にハンブルク大学のジンガーが東大に客員教授としてきて、その薫陶を受けてからです[pp.37-39])。時代の空気からマルス経済学に関心をもつようになりました。とくに河合栄治郎教授の勧めがあったようです。

 他方、肺尖カタルを患ったり(p.24)、また左脚の膝の関節リウマチが原因で大腿から下を切断し(p.69-74)、また戦後は3回、肺の手術を受け(p.89-95)、肉体的にはかなり過酷な人生でした。

 マルクス主義者は戦中、厳しい監視のもとにあり、検挙、投獄されるものが多く、大塚の周囲も例外ではありませんでした。苦難のなかで東京大学に職を得て、戦後は経済史研究の分野で大きな貢献をしました。

 大塚の生涯の仕事は膨大でこれらをひとくちにまとめることは到底無理ですが、あえてここでキーワードのみを示すならば「前期的資本」範疇の確立、株式会社発生史研究、「局地的市場圏」概念の提示などです。

 著者は『大塚久雄著作集』(第Ⅰ期全十巻)[岩波書店]刊行で、編集者の仕事にたずさわったおりに大塚久雄から聞いたことをメモとして保管していたものを、時代背景を加えて整理したものです。付録として大塚久雄の「資本論講義」が掲げられていますが、これは大塚が東大退官後、国際基督教大学に着任し、そこでの卒業論文指導ゼミナールで資本論をとりあげ、南大塚の自宅でその講義を行ったときのテープを、おこしたものです。2回分で、商品論、貨幣論あたりのマルクス「資本論」の解説です。これらをどう読まなければならないかが、比較的わかりやすく説かれています。さらに、巻末には詳細な「論文発表年譜」が掲げられています。


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