【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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谷崎潤一郎『細雪』中公文庫、1983年

2016-05-26 01:04:07 | 小説

        

 谷崎潤一郎の『細雪』を読了(「長編(大河)小説への道」の第2回目。第1回目はトーマス・マン『ブテンブローグ家の人々』)。1月末から読み始めたので、4カ月かかっているが、3月半ばから4月はまるまる読んでいなかったので実質2か月半で読了したことになる。


 時代は1930年代後半、日本が戦争に向かい、軍靴の音が聞こえてくる時代。舞台設定は芦屋と東京。

 「細雪」という表題だが、内容は「蒔岡家の人々」ということになるであろう。あるいは「蒔岡家の四姉妹」。四姉妹の名前は、鶴子、幸子(ごりょうさん)、雪子(きあんちゃん)、妙子(こいさん)。蒔岡という大阪の船場で旧幕時代から続いた商家(今は斜陽の憂き目にあっている)の姉妹とその家族の日々の生活の様子を、絵巻物のようにゆったりとした時間のなかに描写したものである。流れるような文章が小説の内容によく似合っている。

 四姉妹のうち、上の二人、鶴子と幸子は結婚している。話は雪子の数度のお見合い(縁談)と妙子の破天荒な生活ぶりに蒔岡家の人々はふりまわされるという話である。視点は二女の幸子にある。

 市川昆監督「細雪」とはだいぶ違う。この映画を観て、小説を読む気になったのだが、内容がまるで違うことがわかった。もっともこの大河小説を映画化すとすれば、かなりの部分をざっくり切り落とさなければならないのは自明である。そして市川監督による映画は、大事なところはおさえており、そこに不当な改ざんはない。わたしが言いたいのは、この映画を観て、原作を読んだことには全くならないということだけである。

 例えば、原作にある蒔岡家の隣に外国人が暮らしていて、交流があったとか、大洪水との遭遇、雪子の顔のしみ、彼女のお見合いで蛍鑑賞の場面があること、妙子が大病に罹り死線を彷徨うこと、三宅という男性との間に子ができるが死産すること、などは映画にはまったく出てこない。

 終わりが妙である。ようやく決まった雪子の結婚。雪子は幸子夫妻とともに上京するのであるが、その雪子は数日前から腹具合が悪く、下痢をしている、当日になっても止まらず「汽車に乗ってからもまだ続いていた」と書かれて、終わっている。まことに妙な完結の仕方であり、気になった。


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