【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

グレン・ミラー物語(The Glenn Miller Story)アンソニー・マン監督、アメリカ、1954年

2019-10-27 21:10:31 | 映画
「ムーンライト・セレナーデ」などの名曲でビッグ・バンドの黄金時代を築いたスイング・ジャズの神様、グレン・ミラーの半生を、妻ヘレンとの愛情に重きをおいて映画化した作品である。ストーリーはいくつかのエピソードを織り込み、軽快な多数の音楽が挿入されて展開する。

 妻になるヘレンとの出会いと結婚。ロサンゼルスのベン・ポラック楽団に在籍するトロンボーン奏者グレン・ミラー(ジェームス・スチュアート)は、楽団が彼の出身地デンバーを訪れたさい、大学時代の同級生ヘレン(ジューン・アリスン)の家に二年ぶりで電話をかけ、仕事が終わり次第、訪問することを約束した。ヘレンは彼を待つがなかなか来ない。夜半になって、グレンは待ちくたびれて就寝中のヘレンを通りから大声をあげて起こし、パジャマ姿の彼女に質屋で求めた「真珠の首飾り」のフェイクを誕生日祝いにプレゼントした。

 翌日、二人は母校コロラド大学を訪れた。ヘレンは、グリークラブが歌う「茶色の小瓶」を大好きな曲だと言った。グレンはこれからシカゴ、ニューヨークと巡業に出ること、自分の楽団をもち、自分の音楽を作ることが夢であると話した。ところが、そこへ友人のチャーミーが車でグレンを迎えにきて、唖然としているヘレンをのこし、立ち去ってしまった。二年後、グレンはポラック楽団を辞め、苦しい生活の中で編曲を中心とした音楽づくりに苦労していた。夜のニューヨークの通りを歩いていると、ばったり知人に出会った。彼にショウのための新しい楽団編成への誘いを受けた。直後、グレンは街角で「茶色の小瓶」の曲を耳にし、突如ヘレンを思いだした。「結婚だ、もう待てない」と、別の男性と婚約中であった彼女を電話でロサンゼルスから呼び出し求婚。

 強引な結婚の後、やりくり上手なヘレンが貯めていた「グレン・ミラー楽団基金」でグレンはバンド活動を開始した。しかし、「本当の楽器の組み合わせが分からない」との模索の中、トラブルでバンドは解散、そしてヘレンの流産。その後、苦労の甲斐があり、知人の援助もあってバンドは復活。サックスとクラリネットをとりこんだ美しい演奏で大人気を得た。スイングを中心とした新しい音楽のスタイルが受け入れられ、レコードの売上げは驚異的な伸びを示した。二人の養子もでき、グレンもヘレンも幸せだった。おりしも第二次世界大戦、入隊の請願をしたグレンは大尉として任官通知を受けた。「軍の中でも自分の楽団を持ちたい」と言うグレンの願いがかない、軍の式典でのブルース演奏が、国を出る者に何よりの贈り物になったと評価されたのを契機に「グレン・ミラー楽団」が編成された。グレンは、戦時下のロンドンで連合軍の慰問演奏を続けた。

 連合軍の欧州上陸、パリ解放、終戦も間近と思われた一九四四年一二月、グレンはクリスマス特別番組に出演するために濃霧の大西洋をロンドンからパリに飛んだ。これが運命の搭乗となった。グレンの乗った飛行機はパリに着かず、彼は事故で帰らぬ人となった。クリスマスのパリからの生中継を、本国で子ども、友人のチャーミーと聴くヘレン。ラジオでグレン・ミラー楽団が奏でたのは、この日のヘレンのために彼が編曲したスウィング版「茶色の小瓶」であった。

 ルイ・アームストロング、シーン・クルーパ、モダネイヤーズ、フランセス・ラングフォード、マーティー・ナポレオン、ベイブ・ラッシンらの演奏家が特別出演している。


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