【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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内田康夫『熊野古道殺人事件』角川書店、2000年

2011-09-15 00:08:33 | 小説

            熊野古道殺人事件
 著者の内田康夫さんがこの小説には、最後まで出てきます。浅見光彦と行動をともにしていますが、小説の末尾で内田さんが浅見の愛車ソアラの運転操作を誤って大破させてしまいます。内田はそれを弁償するのですが。

 それはともあれ、小説の内容は、T大学の松岡教授についている助手の岳野が宗教史研究会の学生とともに、熊野年代記にかつて記録されていた補陀落渡海(ふだらくとかい)を再現して実行しようと計画しているのですが、それは自殺行為なので計画を中止するように軽井沢に住む内田さんに依頼があり、浅見がその止め役にさそわれて、和歌山県に向けてソアラで出発、その後に起こった殺人事件とその顛末です。

 補陀落渡海とは、補陀落渡海を欣求する僧侶とそれに随行する供の者が二艘のの船に曳航された小舟(棺)に乗りこみ綱切り島というところまでいき、そこで曳航船が曳き綱を切り、僧侶の一行が補陀落山へ向かうというものです。紀伊熊野那智山が起点です。

 9世紀半ばから18世紀ころまで行われていた儀式ですが、ある種の自殺行為でもあるので江戸時代、1722年以降、ときの幕府によって禁止されたイベントです。

 助手の岳野が音頭をとってゼミの学生とともにこのイベントの再現を計画していたのですが、浅見と内田さんはまさにこの計画を止めるために旅だります。

 その道中、南紀山中にさしかかった場所で、二人は殺人事件に遭遇しました。何とそれは、補陀落渡海で小舟に僧侶に扮して乗り込む予定だった助手岳野の妻でした。そして決行された補陀落渡海で、助手の岳野も変死します。

 浅見は熊野古道の歴史をひもとき、そこにはまりつつ、名探偵ぶりを発揮して、事件の解決にあたります。

 この小説は著者が執筆した3編の小説「還らざる棺」「鯨の哭く海」「龍神の女」を合体させて書き直した作品とのことです。


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