経済学史研究者の第一人者であった小林昇[1916-2010](敬称略、以下同様)が昨年6月に93歳で逝去されましたが、その学問業績と人となりの回想記で、29人の方が執筆しています。
二部に分れ、Ⅰ部では研究者による小林昇の業績の評価と再検討です。通読すると、小林の研究の守備範囲、内外での評価、研究内容を理解できます。Ⅱ部では小林の研究以外の文学、短歌、こけし蒐集にまつわる回想である。小林の人柄、研究姿勢、研究仲間との交流、弟子との接し方が丁寧に回顧されています。一番最後に、娘さんである松本旬子さんが「父と母の思い出」を書いています。
わたしは経済学史の分野のことは門外漢でわからないのですが、この回想記を読むと、この分野でどのようなことが、どのように問題となってるのかを概観することができました。もっとも、それは小林昇の業績をとおしてのことですが。
小林が対象とした研究分野は、19世紀イギリス重商主義、リスト、スミスの研究であり、それをさして「デルタ」と呼ばれていたようです。関連して、タッカー、スチュアート、ヒューム、マルクスがとりあげられ、論じれました。
研究の方法は「試行錯誤的往反」というもので、研究対象である経済学者の理論と思想の徹底的な「相対化」であり、経済史を扱いながら経済学史を評価し、また逆連関的方向で捉えなおすというもののようです。
わたしなりの言い方をするならば、「試行錯誤的往反」とは、ある理論的基準で対象となる経済学者の思想なり考え方を絶対的に評価するのではなく、それらがおかれた経済社会状況のなかでとらえ評価し、また経済学者の眼をとおしてその時代の状況をとらえ、その思考的往復、循環をつうじて問題の所在を浮き上がらせ、論じていくという方法、といえるのではないでしょうか。
経済学史家として小林は現代資本主義の難問に対する政策的提言を行うことをストイックに控えていたようですが、根底には経済成長至上主義に批判的であり、達成された経済水準の維持に重きをおいた政策展開を構想していたようです。
小林はまた、文体に気を使った人のようで、自己の文体をもって自己の著作を書くことを信条とし、日本の社会科学者、とくに経済学者のいくたりがそうしているか、と疑問をもっていたとのことです。
小林は短歌が玄人はだであったことは、その著『山までの街』で知っていましたが、この回想記にもそのことに触れた記述が随所に見られました(歌集に『歴世』などがある)。また、こけしの蒐集でも相当な蓄積があったらしく、「東京こけしの会」で活動をし、エッセイもしたためていたようです。価値あるこけしのコレクションは、西田記念館に寄贈されました。
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