【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

吉村昭『ふぉん・しいほるとの娘(下)』新潮文庫、1993年

2008-11-23 23:16:17 | 小説

吉村昭『ふぉん・しいほるとの娘(下)』新潮文庫、1993年

            ふぉん・しいほるとの娘〈下〉 (新潮文庫)

 お稲(その後、「伊篤」と改名)がシーボルトの弟子で伊予・宇和島で医業にたずさわっていた二宮敬作のもとにオランダ語の勉強に赴くところから、彼女の死まで。

 この間、文字通り「波瀾万丈」の生涯でした。簡単にまとめると・・・。

 シーボルトの娘、お稲は二宮に説得されて医者として身をたてることを決意します。産科の道に進むことになり、岡山にいた石川宗謙に指導を仰ぎます。

 ところが、お稲はこの石川に「手ごめ」にされ、タダという女児を
出産します。生きる意欲を欠いて、子とともに長崎に戻ります。長崎に寄った敬作に励まされ、お稲は再び医の道へ。そうこうするうち、国外追放されたシーボルトが再来日します。母のお滝とともに感動の再会を果たしますが・・・。

 父を尊敬していたにもかかわらず召使の女に手をだす彼に失望し、不本意の日々を送るお稲。その後、宇和島藩の伊藤宗城(むねなり)の厚遇のもとに江戸に出て開業し評判の医師となります。娘のタダ(その後、「高」と改名)の不運な結婚と出産。

 お稲はその後、福沢諭吉と邂逅し、医院の創業を勧められます。

 激動の時代のなかで翻弄されながらも、自分の生き方を貫き、1903年、長崎で没。享年77。

 著者の筆の運びは客観的で、史実に可能な限り即すことをこころがけ冷徹ですが、他面、お稲の内面の葛藤の描写も適切です。

 頭のなかでは畏敬していた父シーボルトに対する失望、望まぬ子だったタダへの屈折した愛情、「あいのこ(ハーフ)」といわれながら、逆境にたえ自身の道を進んでいく意思、等々。

 この小説では、お稲の人生とともに、流転する時代背景も細かく記述されています。江戸幕府末期の異国船(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、デンマークなど)の来日、外交問題でのシーボルトの動き、開国派と尊王攘夷派の確執、佐幕派と倒幕派の対立、明治維新後の征韓派と内治派の軋轢、東京の文明開化の様子など。

 上巻とあわせて圧倒的な読み物になっています。

 吉川英治文学賞受賞の大作です。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿