この本が出版された頃に読んで、問題提起の鋭さに圧倒された記憶がある。このたび再読。戦後のアメリカで展開された経済学、それが移植された日本の経済学を奇しくも批判的に回顧することになったのであるが、著者の主張はぶれていないし、その展望は大筋で正鵠を射ている。
経済学の分野での記念碑的な著作にふさわしい内容である。少し細かく各章の中身を以下に要約する。
全体は4章からなる。第一章では表題にあるように「経済学は<科学>たりうるか」について論じられている。ここでいう経済学とは主として新古典派経済学とケインズ経済学である。
著者の主張は、経済学が社会と時代の価値規範に従うということであり、ケインズ経済学に新古典派経済学がとってかわったからといって、前者が後者よりも優れているとか、発展したということではなく、経済学が社会的文脈の差異に変化に対応したにすぎない。ここから出発して、新古典派経済理論の要素還元的思考方法、数量的世界観、方法的個人主義の特徴と由来が示される。
アメリカでのこの経済学の受容基盤、対して日本での受け入れが困難だった事情(日本的知性と近代系経済学的論理の不協和)、逆にケインズ経済学が受け入れられた土壌、さらにその導入に先だってまさにケインズ政策を先取りする試み(高橋財政、経済復興5カ年計画、傾斜生産方式)が我が国にあったことが披歴される。また、日本の経済学が形式としての理論の受容に終始し、「創造の源泉としての精神」もしくは「それを生み出した思想的・文化的基盤」に無頓着であった、という重要な指摘がなされている。
第二章「制度化された経済学」では、1930年代から、より明確には第二次政界大戦後のアメリカで起こった極めて特殊アメリカ的な経済学の制度化の内容について、経済の大衆化、職業化、教科書化、モデル化に焦点を絞って解説されている。
ここでいう制度化とは「社会的に容認された専門的な職業集団の存在」のことである。アメリカではかかるエコノミストが膨大に存在し、彼らは大衆化された大学院で与えられた教科書にそって経済学(新古典派経済学)を学び、査読付きの論文を累積し、就職する。新古典派経済学がこの位置につくことができたのは、この科学に数量的方法が有効で、それなりの現実味のある理論体系を提供できたからである。換言すればモデル分析が可能だったからである(著者はこのモデル分析の問題点を具体的指摘している)。
第三章「日本に移植された経済学」では、このアメリカ的な制度化された経済学が日本に移植されたことの意味、その経過と顛末を分析されている。著者は経済学の移植の過程で「中期経済計画」の作成が果たした役割を強調しつつ、60年代の高度成長期という特異な時代的文脈と触れ合う中で、移植そのものが成熟したかにみえたが、職業集団の自己再生産機構が未熟だったがゆえに、もとの姿とは似て非なるものに改変されて定着されるにとどまった、と結論付けている。
第四章「ラディカル経済学運動は何であったか」では、70年代の新古典派批判がとりあげられている。ここではトマス・クーンのパラダイム論を援用しながら、反成長・反科学の時代の気運のなかで新古典派経済学への根源的批判が出てきたこと(ラディカルズ)、この経済学の「範型」が色あせてきたにもかかわらず、それに替わる新しい「範型」を生み出すまでにはいたらなかったことを回顧している(公共経済学、不均衡動学の試みも不発)。
最後の第五章「保守化する経済学」では、70年代の合理的期待仮説、サプライサイド経済学、マネタリズム(また技術的には高度に数学化された経済学)などの新しい(この時点で)経済学は既成の経済学に替わって制度化される可能性はなく、「制度」としての経済学には翳りが生じていて、今後の経済学は好むと好まざるとにかかわらず、少数の「物好きな」人々のユートピア主義的な発想のものとに展開されているのではなかろうかとの予感を示して、議論を閉じている。
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