今年は、恒例のゼミ旅行も東北に設定した。9月1~3日の3日間で遠野・花巻・平泉を回り、最終日は東北学院で文化財レスキューのお手伝いをさせていただく予定となっている。しかし、台風12号がゆっくりしたスピードで北上してきており、恐らくは、降雨ではできない被災文化財のクリーニング作業は中止、直撃さえ避けられればよいが…と不安な気持ちでの出発となった。
東北では、在来線で移動しようとすると、どうしてもその本数の少なさがネックとなる。なるべく多くの場所を回ろうと思ったら、早め早めに行動するに越したことはない。初日も、7時過ぎには新幹線で東京を発ち、10時過ぎには新花巻に到着。釜石線が来るまで少し時間を潰してから、弁当で昼食を摂りつつ遠野まで移動した。まずはと、遠野駅から市立博物館へ歩き出したところ、それまで何とか保っていた天気が突如崩れだし、それなりに強い雨が降ってきた。「先が思いやられるな」と溜息をつきながら中央通りを直進してゆくと、途中の街並みは何となく元気がない。夏休みが終わったためなのかと思っていたが、市役所が倒壊したことに象徴されるように、遠野も当然のごとく震災の被害を受けているのだ。別に「物語」を作る気はないが、もしかすると未だその影響はあるのかも知れない。
博物館では、学芸員の前川さおりさんに大変お世話になった。想像していたよりパワフルな人で、盛り沢山の常設展示をリズミカルに説明してくださった。昨年リニューアルされた館内は、
2007年にやはりゼミ旅行で訪れたときとはまったく違っていて、タッチパネル等々最新の機器が駆使されなかなかに興味深かった。冒頭、真っ白な遠野の地形模型に『遠野物語』の伝承地が映し出されるフロアは、地理・考古・歴史・民俗の総合を難なくなしとげる力業で、非常に感心した。物語・情報の伝播をドラマ仕立てで解説するパネルも、『伴大納言絵巻』の噂が広がるシーンを髣髴とさせるようで分かりやすく、四方の流通が結節する遠野の地域的特性があらためてよく理解できた。しかし、前川さんの語りにとくに力が籠もったのは、やはり文化財レスキューに関する特別展示であろう。共同作業の多かった陸前高田の博物館では、すべての学芸員が津波のために亡くなった。震災そのものへの対応でなかなか文化財行政に復帰できなかった前川さんは、それでもたった1人でレスキュー作業を開始し、古文書を中心とする被災文化財の救出・洗浄に奔走したという。これまでも同様のフロア解説は何度かされているのだろうが、それでも時折言葉を詰まらせる前川さんのお気持ちは、察して余りある。学生たちは、その思いを汲み取ってくれたろうか。
続いて、博物館から少し離れた収蔵庫に移動、エア・ストリーム法を用いた被災文書の洗浄・乾燥作業をみせていただいた。エア・ストリームといっても、ここでは高価な器財などは一切使われていない。東北学院博物館と同じくありあわせの日用品を駆使した、まさにブリコラージュの作業が展開しているのである。エタノールを塗布し固定した文書を水洗した後で、新聞紙やキッチンペーパーに刳るんで束にしたものを専用の乾燥装置(ラックにサーキュラーを取り付けたもの)にかけ、空気を安定的に送り込んで急速に乾燥させる。布団乾燥の方法を援用したスクウェルチ・パッキング法からさらに発展させた方式で、手順や装置は、
東京文書救援隊がWeb公開している方法に近い。…と思ったら、
東文救自体が遠野へ導入したシステムだったらしい。不勉強なぼくらの知らないところで、さまざまなネットワークが築かれ協働が展開されているのだ。
前川さんには、陣中見舞いということで、地元武蔵野のお菓子と三鷹のキウイワイン(ジブリのラベルが付いているもの)を差し上げてきた。ワインはもう季節的に品切れの時期で、自宅周辺の酒屋を虱潰しにして見つけてきたものだ。ちょっと甘いようだが、お口にあったろうか。
さて、前川さんにお礼をいい、一行は伝承園、常堅寺、カッパ淵の散策へ。カッパ淵へゆく途中では、学生たちと、「カッパは何類なのか」という話題に花が咲いた。図像学的には爬虫類もしくは両生類だが、伝承学的には猿と同じものである。しかしそうしたステレオタイプな位置づけは、民俗の地域的固有性、多様性を無視した見方ともいえる。最近、首長竜が胎生だったというニュースが流れて注目されたが、「恐竜」という枠組みのなかで構築され、ぼくらが思い描いているイメージと、実際の恐竜とはまったく別物なのかもしれない。例えば、鳥に進化していったという二足歩行の肉食恐竜の類と、爬虫類や哺乳類への流れのなかにある四足歩行の草食恐竜、そして今回の海の首長竜とは、系統的にまったく別の生物であった可能性もある。遠野のカッパは赤いというが(キジムナー?)、あまり我々の持つ固定的なイメージで考えない方がいいかも知れない…などといった議論になった。
ところで、ちょっと気になったのは、カッパ淵の脇にある稲荷社の傍らに、奪衣婆らしき像の入った祠が立っていたことだ。『遠野物語』くらいしか予備知識のないぼくは、なぜここに奪衣婆?と首を傾げたが、花巻のホテルへ移動、夕食後に行われた勉強会(今年はちゃんとできていた!みんないい子だ!感激である)で、その疑問は氷解した。常堅寺を担当したYさんの報告によれば、カッパ淵のカッパを狛犬にしたという同寺には、十王信仰があるというのだ。とすると、あの小川は三途の川で、カッパ淵は他界への入り口ということか。このあたりの習合が、歴史的にどのように進んできたのかは知らないが、同淵のカッパが乳の神として祀られているというのも、賽の河原等々のイメージと関連があるのかも分からない。
さてさて、花巻のホテルでの勉強会=飲み会は、10時半頃から3時近くにまで及んだ。まさに、よく学び、よく飲みという言葉が相応しい「修羅場」であったが、該当人物はそろそろ自分の限界を見極めるように。身体を悪くしますよ。(つづく)