く~にゃん雑記帳

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<浦上キリシタン事件> 長崎・浦上から大和郡山に信徒86人が〝流配〟!

2013年11月11日 | 考古・歴史

【長田光男・大和郡山市文化財審議会長「全国では20藩に3300人余」】

 「浦上キリシタン事件―浦上キリシタンと大和郡山藩」と題する歴史講演会が10日、奈良県大和郡山市の薬園八幡神社参集殿で開かれた。大和郡山市まちづくり会議(砂川正興代表)の主催で、講師は市文化財審議会会長を務める郷土史家・長田(おさだ)光男氏。地元の人にもあまり知られていない興味深いテーマとあって、多くの市民が詰めかけ熱心に聞き入った。

  

 この事件が起きたのは1870年1月(明治2年12月=旧暦)。その2年前の日米修好通商条約を皮切りにした日本の欧米諸国への開国に伴って、各地には外国人居留地が生まれ教会堂が建てられた。だが「長年施行されてきた禁教令はまだ効力を失っていなかった」(長田氏)。明治政府は「五榜(ごぼう)の掲示」(5枚の立て札)の第3札に「切支丹邪宗門ノ儀ハ堅ク御制禁タリ」と記して、江戸幕府時代のキリスト教統制策をそのまま受け継いだ。

 その方針に基づいて目を付けられたのが長崎・浦上村のキリスト教徒。まず指導的立場の信徒114人を捕らえて萩、津和野、福山に流配、次いで3300人余を北陸、東海、近畿、中国、四国など西国の雄藩20藩に移送した。この人数は浦上村のほぼ全村民に当たるとみられる。長崎駐在の欧米の外交官らは政府や長崎県に抗議を繰り返したが、受け入れられなかった。

  

 大和郡山藩預かりとなったのは戸主10人とその家族など76人の計86人。戸主は船で大阪に着いた後、「縄で数珠つなぎにされ生駒山を越えて大和郡山まで連れてこられた。まさに罪人扱いだった」。その後到着した家族たちも戸主と同じく雲幻寺(現・良玄禅寺)=上の写真㊧=に収容された。約4カ月後、金崎という2階建ての旅館(所在不明)に移されるが、頑強に改宗を拒む男性5人は別に南大工町の牢屋に閉じ込められた=写真㊨は大和郡山藩の牢屋跡(現・天理教中郡山分教会)。

 そのうちリーダー格の1人は三の丸の会所(現・やまと郡山城ホール)に移され、6日間、一匙の粥すら与えられなかったこともあったという。その後、信徒たちは4組に分けられ市内4カ所に収容される。ただ信徒たちへの待遇は「最初お客様扱いのように大事にされた」という。残酷な扱いを受けたという他藩預かりの信徒たちに比べるとかなり優遇されていたようだ。政府が派遣した巡見使の報告「巡視概略」も「居内出入湯屋往来随意ニ致サセ処分寛ニ過ギ……」と管理の甘さを咎めている。

 それを機に信徒の扱いも厳しさを増す。津藩預かりの信徒155人のうち23人が大和の古市(現・奈良市古市町)に送られ、さらに1872年5月には大和郡山藩預かりの信徒と合流して郡山城下三ノ丸に移された。同年12月には12~20歳の男女25人が家族から引き離され東大寺大仏殿付近に移されて改心を迫られ、子どもは紙製品作りにこき使われた。また郡山に残された信徒は大峰山麓の天川郷に送られ、「強壮な男子は銀鉱の採掘やら、石炭の運搬やらに駆使された」(浦川和三郎著「切支丹の復活」所載「旅の話」)という。

 

 流罪同様に西日本各地に送られた信徒がようやく解放されるのは1873年の春のこと。2月24日にキリシタン禁制の高札撤去の太政官布告が出され、3月14日には「異宗徒帰籍ノ事」が発令される。太政官は17県に預かりとなっていた不改心の信徒1938人の釈放帰村を指令した。いわゆる「キリシタン放還令」である。大和に移送されていた信徒104人は神戸から船に乗り、5月30日、浦上に着いた。故郷を追われて約3年5カ月後のことだった。

 近鉄郡山駅から西に徒歩数分のカトリック大和郡山教会の前庭に「切支丹流配碑」(写真㊧)が立つ。高さ4m余りで、男子40人(郡山での出生者も含む)と女子47人の流配者全員の氏名が刻まれている。同時に基壇には「九名の殉教死者を出しながらも頑強に棄教を拒み……」(写真㊨)と書かれ、銘板には死者6人の名が刻まれている。ただ、長田氏は他の文献などからみて郡山での死者は「4人ないし5人」と指摘する。

 浦上キリシタン事件は放還令による信徒の帰村でひとまず終結するが、「この段階ではキリスト教の布教は黙認されただけだった。信教の自由が公然と認められるのは明治22年発布の大日本帝国憲法を待たねばならなかった」。長田氏は事件の背景について「キリスト教の説く原理と明治政府の企図した神道国教化の政策や近代的天皇制国家樹立への理念とが噛み合わなかったことによるものだろう」と結んだ。


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