男らしさの終焉 著:グレイソン・ペリー
トランスヴェスタイトというジェンダーである著者が、
男らしさという暴力的な思想に苦しんだ過去と、
そこから解き放たれつつある現在、それは自身の気持ちだけではなく
世界的にそのように寛容さを見せつつあるといったことを示し、
そのために取り残される、古くからの男らしさという呪縛について
あれこれと書いた本であります
いわゆる成功者というレッテルがあり、
その重要な要素に男らしいというものが存在する
そのために、男であるというだけで
既に今の世界は勝ち組に所属できるという言い分から、
それでありながら、その男であり、男らしくありといったことを
強要されることで、実際はそうでもないのに
苦労を背負わなくてはならない男性も存在するという指摘、
なるほど、マッチョであるという端的なそれではなくて、
リーダー像なる、指導者的男性像というのが
そうではない男性を苦しめているというのは
凄く理解ができるところでありました
世界というか、社会通念のような形で、
現在支配層を占めている男たち(あるいはそういう人種)が、
自分たちの権威を守るためにまた、
そういった像が正しいとしている
そういうルールを世界に強いているという感じで
なるほどなと、思わず納得してしまう内容が面白かった
女性の優秀さというものにも触れているが、
女性たちもまた、女性らしくというしがらみや呪縛があって、
子供は生まれた瞬間から、男性、女性という役割を演じるよう
仕向けられている、それがしつけだったりするというのが
グロテスクではないが、残酷で悲しいことで、
なによりも前時代的であるというのが趣旨でありました
賛同できるようにも思うし、
そうでもないとも思える
結局このあたりは、自分が男性という性を授かったおかげで、
社会的な不自由から独立しているから思えるところかとも
考えたりする切欠になったのでありますが、
それが取り払われていく世界で、
はたして生きていけるかしらとも
思ったり考えたり、
そういうものから解き放たれることで、
男女の役割という演じるものがないばっかりに
結婚や性生活に悪影響が出ているというのもまた、面白い論調の読み物でありました
色々考えるというか、なるほどと思うところの多い
面白い本だった
トランスヴェスタイトというジェンダーである著者が、
男らしさという暴力的な思想に苦しんだ過去と、
そこから解き放たれつつある現在、それは自身の気持ちだけではなく
世界的にそのように寛容さを見せつつあるといったことを示し、
そのために取り残される、古くからの男らしさという呪縛について
あれこれと書いた本であります
いわゆる成功者というレッテルがあり、
その重要な要素に男らしいというものが存在する
そのために、男であるというだけで
既に今の世界は勝ち組に所属できるという言い分から、
それでありながら、その男であり、男らしくありといったことを
強要されることで、実際はそうでもないのに
苦労を背負わなくてはならない男性も存在するという指摘、
なるほど、マッチョであるという端的なそれではなくて、
リーダー像なる、指導者的男性像というのが
そうではない男性を苦しめているというのは
凄く理解ができるところでありました
世界というか、社会通念のような形で、
現在支配層を占めている男たち(あるいはそういう人種)が、
自分たちの権威を守るためにまた、
そういった像が正しいとしている
そういうルールを世界に強いているという感じで
なるほどなと、思わず納得してしまう内容が面白かった
女性の優秀さというものにも触れているが、
女性たちもまた、女性らしくというしがらみや呪縛があって、
子供は生まれた瞬間から、男性、女性という役割を演じるよう
仕向けられている、それがしつけだったりするというのが
グロテスクではないが、残酷で悲しいことで、
なによりも前時代的であるというのが趣旨でありました
賛同できるようにも思うし、
そうでもないとも思える
結局このあたりは、自分が男性という性を授かったおかげで、
社会的な不自由から独立しているから思えるところかとも
考えたりする切欠になったのでありますが、
それが取り払われていく世界で、
はたして生きていけるかしらとも
思ったり考えたり、
そういうものから解き放たれることで、
男女の役割という演じるものがないばっかりに
結婚や性生活に悪影響が出ているというのもまた、面白い論調の読み物でありました
色々考えるというか、なるほどと思うところの多い
面白い本だった