ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




そう、僕もよく、自分の下手なイラストを

「画伯が描きました」などと言ってうそぶいておりますが、

今日は、血の繋がっている、本物の方のお話です

 

今日、母の個展に、行ってまいりました。

なんとはいっても家族の事ですから、大きな声で言うのははばかられるのですが、

正直、素晴らしかったです。

「こんな絵を、こんなに沢山、描いてたんだ。」

僕を生んだ母ですが、僕が知らない母を見るようでした。

 

 

もう、かれこれ二十五年、描いているということですが、

それでも絵を始めた年齢としては、そう早いものではないと思います。

僕が、大学に入った頃、ということになります。

 

特に、僕が実家を出てから、特に熱心に絵の世界に入っていっていたように思います。

「絵が面白い」

と言い、デッサンや色に関する本(まさに教則本?)のようなものが、少しですが、家にあるようになりました。

それでも、家事などの合間に書いていたのだと思います。

というのは、少なくとも僕が実家にいる時代の話ですが、絵を描いている母を、あまり見ていないんですよね。

お茶屋さん(お茶の葉っぱを売る方ね。京都のほうのお茶屋さんではなくて。)の仕事もしてましたしね。

そのうち、電話で話をすると、

 

「こんど展覧会に出してみようとおもう」

などという話を聞いたかと思えば、その数年後には、

「入賞したー」

と。

そのあたりから、今度は毎年、

「会長賞をもらった!」「特別賞をもらった!」「審査委員賞だった!」

などと、毎年のように賞をもらうようになり、

そのうち、

「審査員になった!」

といいました。

 

そして、そのうち、「私になんか無理ですよ、と断っても断っても、どうしても教えて欲しいって言ってくれる人がいるので」と、自分の教室を持って教えるようになり、

数年前からは、時々、外に教えに行ったりもしているようです。

また、自分も、「すごいのよ。」という先生の教室に、通ってもいるようです。

 

わが身内ながら、よくもまあ、これだけ打ち込んだものだ、と感心します。

何事も、ただ何もしないで上達するということはありませんので、

もう、本当に相当な数、キャンバスに向かって、考え、悩み、葛藤し、自分と戦い、時に大きな光を見出したり、でもまた挫折したり……この繰り返しをやったのだと思います。

 

思い起こせば、僕がまだ小さい頃。5歳とか、6歳とか、そういう頃。

その頃住んでいたの家の、食器棚の上あたりに、一枚の静物画がありました。

そんなに大きくも無い、幾つかの果物を書いた油絵でした。

 

僕が「あれはなに?」ときくと、

「あれは、おかあさんが、学生の時に描いたものなの」

そして、

「おかあさんね、またいつか、絵を描きたいなー、って思ってるのよ」

と、何度か、この話を聞いた覚えがあるのです。

 

「やりたいんだったら、やればいいのに!」

と子ども心にも思いましたし、その時も、そう言ったような記憶があります。

母は「そうね、いつかね」と答えたように記憶しています。

 

 

やはり小学生低学年の頃、ゴッホ展を観に、上野の美術館に連れて行ってもらった記憶があります。他にも連れて行ってもらったかな?

…僕は、どちらかと言えば、やはり科学博物館の方が好きでしたけどね。恐竜の化石とか、宇宙とか(笑)。

 

家には、画家の画集が沢山ありましたから(20巻くらいの全集みたいのが、大小、メーカー違いで何セットかありました)、母は、本当に絵が好きだったのでしょう。

皆、同じように見えて、違ったのでしょうねえ(・・・僕が、キーボードを40台とか持ってるのと一緒かな(笑))

僕は……展覧会に行ったゴッホは、「展覧会に行ったので」好きでしたが(←実際に見ると、絵でも音楽でも何でも、親しみが沸くものですよね(笑))、

その当時、とにかく特別好き、というか、惹かれて何度も画集を開いていたのは、ダリでした(←なんとなく、プログレっぽいですよね(笑))。

 

あ、ちょっと話が横道(マニアックな方へ(笑))逸れそうですので戻しますが、

ともあれ、そんな若いころの淡き夢を心に持ったまま、僕を育て、その後、14歳ほど歳の離れた弟を育て、

また本格的に絵を始めた母が、いよいよ個展を開くというのです。

 

不肖、普段親不孝ばかりしている息子としては、

この僕を生み、育ててくれた手で描いた絵を、観に行かねばと、今日行ってきたわけです。

また、自分が弾いたピアノが、絵の邪魔をしていないかも非常に気になっており……(笑)。

 

結果、絵はとても素晴らしいものでした。

ほとんどの絵は、僕も初めて見るもので、相当数、今回の個展の為に描き下ろした(という言葉があるかは知りませんが)ものだと思います。

「へえ、こんな絵を描くのか」

というものが、何点もありました。

 

そして、

「(母らしいな)」

と思う絵も、沢山、見ることができました。

僕の好きな、

光の中に配置された、色鮮やかな花たちの絵。

 

絵は、心が、一番良く現れると言いますよね(心理テストなどでも良く使われます)。

 僕は、母の絵が、そして、母の絵を通してみる母の心が、

このまま、ずっと光溢れるものであってくれれば、豊かな色彩に彩られたものであってくれれば、

それだけで安心です。

と、親不孝の救いを、絵にばかり求めちゃいけませんけどね(笑)。

 

会場では、僕の弾いたピアノ(生のピアノの音ではなくて、より柔らかい、エレクトリック・ピアノの音を使いました。)が7曲ほどと(25分ほど)、その後、

僕がセレクトした、キース・ジャレットの、大好きなあの黒いジャケットのアルバム(こちらは本物のピアノね。こちらは55分ほどあります)が、繰り返し、交互に流れています。どっちがどっちかは、音色で分かると思います。というか、(圧倒的に)上手な方がキースに決まってますが(笑)。

 

……はい、今日絵を見ながら、耳を10センチくらいそばだてて確認しましたところ、

キースは最高でしたが、本当に僕のピアノが邪魔してないか(笑)、よろしかったら、是非、みなさなにも、会場に足をお運び頂ければ幸いです。

銀ブラ(←古い(笑))のついでにでも。勿論、入場は無料ですので。

僕も、期間中に、もう一度くらいは行きたいな、と思っております

 

「川村恵子 水彩画展」

2012年12月3日(月)~9日(日) 11:00~18:30(最終日は16:30まで)

銀座 渋谷画廊にて

東京都中央区銀座7-8-1 渋谷ビル2F

03-3571-0140

(会期中はずっと母がいます。よろしかったら「川村ケンのブログを見て来た」とひと声かけてやってください。きっと喜ぶと思います。)

 

 

ちなみに、学生の時の母の絵は油絵でした。

そして、再開した時も、最初は油絵だったそうです。

しかし、その後、水彩画へ。

 

「なんで、油絵じゃなくて、水彩画?」

と訊きますと

「油絵と違うのは、水彩は一度描いたら、それでもう、やり直しがきかないところ。一度限り。だから実は、水彩の方が難しいのよ。……そして、だから面白いのよ」

 

なるほどです。

僕は、その場限りのインプロヴィゼーションでピアノを弾くキースが大好きです。

 

なるほど、僕の母だ

 

あ、……というか、僕が、母の子だったのでしたね(笑)。

 

ではー。



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