かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

伊賀国 & 伊勢国 一宮巡り

2023年05月20日 | Other Western Japan
今日は、夏が戻った?
関西から、横浜に戻る途中、伊賀と伊勢に立ち寄り。



最初は、敢国神社(あえくにじんじゃ)。
近鉄四日市から、車で行ったが、結構山の中。
古来から、渡来人が住んでいた地域で、伊賀忍者でも有名。
なかなか来れずにれいたが、歴史を感じる地区だった。
奈良、京都、名古屋の真ん中ぐらい?



斉明天皇の時代に創建されたとされ、大彦命(おおびこのみこと)、少彦命(すくなひこのみこと)、金山比咩命(かなやまひめのみこと)を祀る。
大彦命の子孫は、伊賀国の阿拝郡(あえぐん)に住み、転じて阿部臣の祖となったという。
既に訪れた美濃の南国大社との関係も指摘される。



そんな大きな神社ではないが、伊賀一宮だけあって、しっかりしている。



立派な拝殿だが、横に広がっており、本殿の方は、見えなかった。



次に訪れたのが、椿大神社(つばきおおかみやしろ)。
都波岐奈加等神社(つんばきなかとじんじゃ)と共に、伊勢国一宮とされる。
伊勢国というと伊勢神宮だが、別格扱い。



猿田彦大神(さるたひこおおかみ)をお祀りする神社の総本山とされる。
入り口にあるこの絵は、猿田彦大神と、別宮の椿岸神社の主祭神である天之宇受女命(あめのうずめのみこと)。



拝殿。
本殿の方は、見えなかった。



こちらは、別宮の椿岸神社。
芸能の神様としても有名。



有名芸能人も多く寄進している。



金竜明神の滝。



参道脇には、古墳があり、土公神陵とあるが、猿田彦大神の墓とされる。
ただ、調査等されていないようで、詳しい説明書きは、なかった。



松下幸之助さんもたくさん寄進されたそうで、亡くなられた後に祀られている。
本人が希望したとは思えないが、感謝の気持ちと表したかったのだろう。



次に行ったのは、いろんな場所にあるヤマトタケルの古墳とされる能褒野王塚古墳。
一帯が、公園になっている。



古墳横に、明治時代に作られた能褒野神社。
参拝する人もいなかったが、何かの行事の時には、人が集まるのか、絵馬も納められていた。



古墳への道標。



能褒野塚古墳。
ヤマトタケルは、景行天皇の皇子だが、気性が激しく、九州、東国を治め、東国から奈良に帰る途中のこの地で、亡くなったとされる。
その時、白鳥に生まれ変わり飛び去ったとされる。
神話の中でも、有名な話だ。
実在性は、疑われるが、ヤマト朝廷が、九州、東国を鎮圧した歴史を語る際、必ず出てくる。



かなり木が生い茂っており、中の姿は、確認しにくいが、前方後円墳。
その他小さな古墳もあるのではと思われた。
この辺一帯には、他にも多くの古墳があり、古代に、有力な氏族がいたことは間違いない。



最寄の、井田川駅にも寄ってみた。
平成になってから、ヤマトタケル石像が設置されている。



最後に訪れたのが、伊勢国一宮である都波岐奈加等神社(つんばきなかとじんじゃ)。
拝殿は、コンクリート製で趣には欠ける。
元は、都波岐神社(つばきじんじゃ)と、奈加等神社(なかとじんじゃ)だったそうで、前者が猿田彦大神、後者が中筒之男命(なかつつのおのみこと)を祀る。
いずれも、三韓征伐の際活躍したとされるが、真実かは不明。
本神社は、雄略天皇の時代に創建されたとされる。



シンプルな拝殿。



本殿もこじんまり。

ということで、伊賀国、伊勢国一宮も参拝できた。
一宮巡りもいよいよ終盤?
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