かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

印度入魂の旅 その1 オチョア宮殿

2012年09月16日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日は、フジフィルムさんが提供しているフォトブックに挑戦してみた。
まだ、使いこなせたわけではないが、よくできたソフトで使いやすい。
注文してみたが、できるのは、2週間後。最寄のコンビニで受け取れる。
どんな感じでできるかな?
今、ANAオープンで、この前行った輪厚で、藤田プロが優勝した。おめでとう。アラフォーの☆。私は、アラフィフだけど。



まだ、読みためた本のレビューが終わってないのだが、印度旅行から帰って、もう1カ月もたってしまったので、いよいよ?、2012年8月の印度の旅のご紹介したいと思う。
名付けて、印度入魂の旅。
一昨年は、印度、ネパール、ブータンを周り、各国での、宗教(特に、仏教)に触れることができた。
昨年は、仏教の八大聖地を周った。これは、かなりの冒険だった。
そして、今年、デカン高原の仏教遺跡を中心に周り、印度に残る代表的な仏教遺跡は、ほぼ制覇できたことになる。
ということで、”印度入魂”の旅と名付けた。H/Pで、ちゃんと紹介したいのだが、いつ着手できるかわからないので、ブログで、まずは、ラフにご紹介という位置づけにしたい。

初日は、香港経由で、デリー入り。着いたら夜中で、寝ただけ。
翌朝、6時発の列車で、ジャンシーへ向かう。
この列車には、10年前、日帰りで、アグラに行った時にも使った列車だが、たぶん車両も、サービスもまったく一緒。10年1日のごとし。
カジュラーホの最寄駅?であるジャンシーまでの距離は、デリー・アグラ間の距離の倍ぐらいか。ジャンシーに近づくと、岩山が増えてくる。デカン高原の北端ぐらいだろう。



元々のスケジュールは、ジャンシーからカジュラーホまで行って(約180km)、泊まるだけだったが、途中にオルチャ宮殿というところがあるということで、寄ることにした。
ジャンシーからそう遠くない所にある。
ちなみに、ジャンシーにも、立派なお城があるが、そのお城は街から見上げただけだった。
ジャンシーの最後の王は、女帝で、イギリス軍と、最後まで戦ったという。



このオルチャ宮殿。当時のヒンドゥ教の王が、ムガール帝国の(アクバル帝の息子で、タージマハルを作ったシャージャハンの親である)ジャハンギルと親しく、その訪問のためだけに作った宮殿という。17世紀ぐらいのことだ。当時のムガール帝国の強大さと、地方の王の裕福さを物語る話だ。

保存状態が、いいとは言えないが、ところどころ当時の色が残り、きらびやかな宮殿であったことがわかる。
ラジマハル(当時の王の宮殿)と、ジャハンギルマハル(ジャハンギル訪問のために作られた宮殿)と、シースマハル宮殿(ゲストのための宮殿)の、3宮殿からなるが、このジャハンギルマハルが一番豪華。下に100の部屋、上に136の部屋があるという。



これは、駱駝のための建物?
雨季で、周りの緑も美しい。



ラジマハルの入口。本来の、王様の宮殿。



右が、ゲストのための宮殿。左の寺院は、ヒンドゥ教寺院。ラクシュミーを祀ると聞いた気がするのだが、クリシュナを祀ったという資料もあり、そっちの方が正しそうだ。
その奥の新しいのは、ラーマ王子を祀った寺院と聞いたような気がするのだが。
ヒンドゥ教は、とにかく神様が多くて、ヴィシュヌ神などは、10の化身(デバター)を持つし。



印度らしくない風景。緑が美しい。見える河は、ベトワ河。タージマハル脇のヤムナー河みたいだ。都市は、水の近くにしかできなかったのだろう。



イスラム風の装飾と、ヒンドゥ風の装飾が、混じり合っている。
ヒンドゥ教の王が、イスラム帝国のトップを迎える時の配慮だったのだろう。



イスラム風の窓の透かしから、緑の平原を臨む。
ARTだ。



ジャハンギルマハル。



ラジマハルの中には、当時の壁画がたくさん残っている。
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