かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

吉備路その18 薯z(たてつき)遺跡

2014年09月06日 | Other Western Japan
今日は、ゴルフ。
前半よかったが、後半息切れ。
でも、かつての仲間とのゴルフは、最高。



遺跡としては、今日最後の薯z遺跡に行った。まだ、夕立の途中で、ゆっくり見れなかったが、不思議な遺跡だ。
古墳時代の前、弥生時代のものという。



この辺は、多くの古墳が集中していた地域であったらしいが、宅地造成で、かなり原型が崩れてしまったようだ。
地域一体が、王墓の丘史跡公園になっていて、その頂上にるのが、この薯z遺跡だ。



ユニークな遺跡だが、ここにも説明板があった。最後の部分が、かすれて読めないので、途中までとなるが、内容は、以下のとおり。

『薯z弥生墳丘墓は、径約50mの主墳を中心に二つの突出部を備えた弥生時代の墓で、現存全長約72mの大きさをもつ。10986年まで前後六回に亘る発掘が岡山大学文学部考古学研究室を中心に行われた。
二つの突出部は団地造成工事の犠牲となり、北東突出部は法面の、南西突出部は給水塔の工事
で大きく破壊されたが、これまでの発掘によってとこには石列が並び、飾られた丹塗りの臺形土器多数が置かれていたことが判明した。
いま主墳の頂には五個の巨石が、また斜面にも、石列がみられる。これらは埋葬の霊域を守る役目をもつものであろうか。また墳頂や斜面の一部には拳大の円礫が置かれている。
墳頂下に二つの埋葬が発見された。中心部の地下約1.5mのあたりに発見された埋葬は、この墳丘墓の主人公のもので、棺の長さ約2m、幅約70cm、棺底には厚く朱(30kg以上)が敷かれていた。骨はすべて腐って無くなっていたが、歯の小さなかけらが二つみつかった。副葬品は鉄剣1、首飾り2、多数の小管玉とガラス小玉の集り1である。この棺は外箱つまり榔の中に入れられていた。棺も榔も木製であったが、腐っていく過程で土と入れ替わった痕跡から構造の追求が行われた。榔の長さ3.5m、幅1.5m、底板は、少なくとも2枚で、その下方には横木数本の痕がみられた。榔の南東には、溝を堀石をつめた排水施設がつくられていた。』

なかなかミステリアスな、時代的にも興味深い遺跡だった。
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