今日は、好天。
GWが近づいてきたが、天気は、どうか。
本書は、本屋で見つけて即ゲット。
前から気になっていたテーマだったが、期待に応えるすばらしい本だった。
知らないことがほとんどで、このテーマが平安時代からの研究材料だったことを知った。
つまり平安時代には、奈良時代の読み方が、すでにわからなくなっていた。
まず8世紀頃の日本語の発音だが、この推理は、万葉集などでの漢字の使い方から推理する。
今では同じ(例えば”お”)でも、違った漢字が当てられていることがわかり、その漢字の発音の研究が、中国側でなされていて、それを当てはめていくと、今は、母音が5つだが、当時は、8つであったことがわかるという。
唐時代の中国語の発音も、宋代には変わっていたが、唐詩の研究するために(特に韻の研究)宋代に深く研究されたのだという。
その研究から、古事記偽書説も否定されるに至った(後代忘れ去られていた漢字の使い分けがしっかりとなされている)。
その結果今とはかなり違った発音であったことがわかっていて、例えば今の”は”行は、”ぱ”行だった。
日本語の発音の表し方については、いろんな工夫がなされてきたが、なかなか難しく、定着した手法がなかったが、その乱れを藤原定家が整理しようとしたのだという。
定家は書家として有名だが、日本語の確立という面でも貢献した人だと知った。
当時は、万葉仮名からひらがなにシフトした時代だが、ひらがなだけだとまたわかりにくく、漢字、カタカナ、ひらがなが混じる、日本独特の手法が確立されていった。
日本語のユニークさは、漢字の音読みにも表れていて、一つの漢字に複数の読み方があるのは、日本だけなのだという。
これは、呉音(3~6世紀)、漢音(6~8世紀)、唐音(13世紀)と、様々な時代に、漢字が日本に流入し、その時々の日本語に定着していった結果だという。
そして、これらを、意識せずに日本人は使い分けることとなった。
私が、いろは歌を知ったのは、習字の稽古でであったが、10世紀ごろに成立したと言われている。
当時は、まだ”ん”がないが、一方”ゑ”や、”ゐ”があり、今は”え”や、”い”と同じになってしまったが、当時は、別の語であったことがわかる。
このように時代毎に日本語は変化し続けている。
戦国時代の日本語の発音がわかるのは、当時のポルトガル人の残した日本語の辞書にあるポルトガル語の読み方だ。
それにより、今の”は”行は、当時”ふぁ”行であったことがわかる。
"じ”と”ぢ”や、”ず”と”づ”の発音の違いもあったが、今は、同じ発音になっている。
しかし、表記ではまだ分けて使われたりもしていて、使い分けることによって、読みやすくなったりもする。
”は”や”を”にも同じことが言える。
ズーズー弁も古い日本語の読み方が残ったものという。
今の日本語に近い体系に整理したのが、かの本居宣長。
そして、50音を作ったのは契仲という方だそうだ。
そしてそれは、インドの梵音の順序になっており、円仁という僧侶が中国から持ち帰ったものが元という。
昨年、山代温泉に行った時に、明覚聖人が持ち帰ったという碑があったが、ちょっとその辺との関係はわからない。
そして、明治に入り、我が母校の初代校長が著した日本の最初の辞書大言海が著され、ほぼ現在の日本語が確立したということらしい。
それでも、今使っている日本語に過去の日本語が微妙に紛れ込んでいて、知らずの内に自然に使っているところがまた面白い。
ユニークな切り口での日本の歴史書ということで、ちょっと素人にはわかりにくいところもあるが、エンターテイメント性が高くて楽しく読めた。
GWが近づいてきたが、天気は、どうか。
本書は、本屋で見つけて即ゲット。
前から気になっていたテーマだったが、期待に応えるすばらしい本だった。
知らないことがほとんどで、このテーマが平安時代からの研究材料だったことを知った。
つまり平安時代には、奈良時代の読み方が、すでにわからなくなっていた。
まず8世紀頃の日本語の発音だが、この推理は、万葉集などでの漢字の使い方から推理する。
今では同じ(例えば”お”)でも、違った漢字が当てられていることがわかり、その漢字の発音の研究が、中国側でなされていて、それを当てはめていくと、今は、母音が5つだが、当時は、8つであったことがわかるという。
唐時代の中国語の発音も、宋代には変わっていたが、唐詩の研究するために(特に韻の研究)宋代に深く研究されたのだという。
その研究から、古事記偽書説も否定されるに至った(後代忘れ去られていた漢字の使い分けがしっかりとなされている)。
その結果今とはかなり違った発音であったことがわかっていて、例えば今の”は”行は、”ぱ”行だった。
日本語の発音の表し方については、いろんな工夫がなされてきたが、なかなか難しく、定着した手法がなかったが、その乱れを藤原定家が整理しようとしたのだという。
定家は書家として有名だが、日本語の確立という面でも貢献した人だと知った。
当時は、万葉仮名からひらがなにシフトした時代だが、ひらがなだけだとまたわかりにくく、漢字、カタカナ、ひらがなが混じる、日本独特の手法が確立されていった。
日本語のユニークさは、漢字の音読みにも表れていて、一つの漢字に複数の読み方があるのは、日本だけなのだという。
これは、呉音(3~6世紀)、漢音(6~8世紀)、唐音(13世紀)と、様々な時代に、漢字が日本に流入し、その時々の日本語に定着していった結果だという。
そして、これらを、意識せずに日本人は使い分けることとなった。
私が、いろは歌を知ったのは、習字の稽古でであったが、10世紀ごろに成立したと言われている。
当時は、まだ”ん”がないが、一方”ゑ”や、”ゐ”があり、今は”え”や、”い”と同じになってしまったが、当時は、別の語であったことがわかる。
このように時代毎に日本語は変化し続けている。
戦国時代の日本語の発音がわかるのは、当時のポルトガル人の残した日本語の辞書にあるポルトガル語の読み方だ。
それにより、今の”は”行は、当時”ふぁ”行であったことがわかる。
"じ”と”ぢ”や、”ず”と”づ”の発音の違いもあったが、今は、同じ発音になっている。
しかし、表記ではまだ分けて使われたりもしていて、使い分けることによって、読みやすくなったりもする。
”は”や”を”にも同じことが言える。
ズーズー弁も古い日本語の読み方が残ったものという。
今の日本語に近い体系に整理したのが、かの本居宣長。
そして、50音を作ったのは契仲という方だそうだ。
そしてそれは、インドの梵音の順序になっており、円仁という僧侶が中国から持ち帰ったものが元という。
昨年、山代温泉に行った時に、明覚聖人が持ち帰ったという碑があったが、ちょっとその辺との関係はわからない。
そして、明治に入り、我が母校の初代校長が著した日本の最初の辞書大言海が著され、ほぼ現在の日本語が確立したということらしい。
それでも、今使っている日本語に過去の日本語が微妙に紛れ込んでいて、知らずの内に自然に使っているところがまた面白い。
ユニークな切り口での日本の歴史書ということで、ちょっと素人にはわかりにくいところもあるが、エンターテイメント性が高くて楽しく読めた。