今日は、ひんやりした感じだが、過ごしやすい天気。
東北史講義の近世・近現代篇。
江戸時代から、今までを取り上げている。
本書も興味深い話満載だが、日本における東北の特殊性を再認識させられる。
豊臣秀吉の時代から、徳川の時代にかけて、東北の大名たちは、その勢力争いに翻弄され、大きく規模を縮小された藩があったり、藩を移されたにもかかわらずそこで、大きく成長した藩もあったり、悲喜こもごもの様子が描かれる。
”どうする家康”でも描かれるが、トップの決断がことさら重要な時代だった。
明治に入ると、東北地方の遅れを取り戻すべく様々な施策が行われるが、戦争や、政変などで、一直線には進まなかった。
そんな中で、戦争では、東北の人が多く駆り出され、勝った時は、よかったが、第二次世界大戦では多くの人が犠牲になった。
米軍における黒人兵を思い起こさせる。
江戸時代、アイヌの反乱も続いていたそうで、その中で、松前と奥羽の手柄争いも熾烈。
その中で弘前藩の津軽信政は名君だったそうだ。
薄学で知らなかったのだが、津軽に行った時に参拝した高照神社は、その時代を今に残す貴重な神社だったことを知った。
東北の振興においては、百貨店の歴史も取り上げられているが、仙台においては、三越が最初で、その後、地場の百貨店が追随したという。
懐かしいデパートの名前がたくさん出てくるが、それらの繁栄も、私が、仙台にいた昭和までで、その後は、つぶれたり、東京から進出した他業態の店に押され気味だ。
時代は、目の前でもどんどん変わっている。
教育制度も取り上げられているが、当時の中学(今の高校に当たる)は、レベルが高く、中学にはもったいないような優秀な先生も多く、そこで多くの人材が育った。
我が母校も出てくるが、その教育制度は、富国強兵時代の日本に大きなプラスの影響を与えた。
当時は、締め付けが厳しい校長が来ると、学生がストを起こし、校長が更迭されることもあったという。
ただし、まだ中学に行ける人は、2割ほどしかおらず、学校数も少なかったため、地方に住んでいる人は、よっぽど裕福でない限り進学できなかったという。
今の教育制度の何と充実していることか。
それを、活かしきれていないように見えるのが残念だ。
最後は、3.11の話になるが、福島県富岡町の住民の気持ちは、微妙なものがあるという。
原発を誘致したことで、今たいへんな状況に置かれているにもかかわらず、東電に対して、お世話になったと感じている人が今も多いという。
それだけ、原発誘致により、町がうるおい、生活が豊かになったと実感している世代が多いのだろう。
一方、誘致の際、反対運動があったらしいが、その資料はほとんど残されていない。
これは、故意に残さなかったのか、残すほど大規模ではなかったのか。
とにかく資料の消滅スピードが加速している。
3.11で多くの資料が失われたが、辛うじて、デジタル化されて残ったものがあるという。
どんどん都市化が進み、古い家が取り壊される度に、多くの貴重な資料が失われている。
親戚の家も震災後建て直せず取り壊されてしまったが、代々のお医者さんで、お邪魔した時、古い調剤道具や、薬棚があったのを思い出す。
たぶんそれらも失われてしまったのだろう。
いろんな面で、考えさせられる1冊だった。
東北史講義の近世・近現代篇。
江戸時代から、今までを取り上げている。
本書も興味深い話満載だが、日本における東北の特殊性を再認識させられる。
豊臣秀吉の時代から、徳川の時代にかけて、東北の大名たちは、その勢力争いに翻弄され、大きく規模を縮小された藩があったり、藩を移されたにもかかわらずそこで、大きく成長した藩もあったり、悲喜こもごもの様子が描かれる。
”どうする家康”でも描かれるが、トップの決断がことさら重要な時代だった。
明治に入ると、東北地方の遅れを取り戻すべく様々な施策が行われるが、戦争や、政変などで、一直線には進まなかった。
そんな中で、戦争では、東北の人が多く駆り出され、勝った時は、よかったが、第二次世界大戦では多くの人が犠牲になった。
米軍における黒人兵を思い起こさせる。
江戸時代、アイヌの反乱も続いていたそうで、その中で、松前と奥羽の手柄争いも熾烈。
その中で弘前藩の津軽信政は名君だったそうだ。
薄学で知らなかったのだが、津軽に行った時に参拝した高照神社は、その時代を今に残す貴重な神社だったことを知った。
東北の振興においては、百貨店の歴史も取り上げられているが、仙台においては、三越が最初で、その後、地場の百貨店が追随したという。
懐かしいデパートの名前がたくさん出てくるが、それらの繁栄も、私が、仙台にいた昭和までで、その後は、つぶれたり、東京から進出した他業態の店に押され気味だ。
時代は、目の前でもどんどん変わっている。
教育制度も取り上げられているが、当時の中学(今の高校に当たる)は、レベルが高く、中学にはもったいないような優秀な先生も多く、そこで多くの人材が育った。
我が母校も出てくるが、その教育制度は、富国強兵時代の日本に大きなプラスの影響を与えた。
当時は、締め付けが厳しい校長が来ると、学生がストを起こし、校長が更迭されることもあったという。
ただし、まだ中学に行ける人は、2割ほどしかおらず、学校数も少なかったため、地方に住んでいる人は、よっぽど裕福でない限り進学できなかったという。
今の教育制度の何と充実していることか。
それを、活かしきれていないように見えるのが残念だ。
最後は、3.11の話になるが、福島県富岡町の住民の気持ちは、微妙なものがあるという。
原発を誘致したことで、今たいへんな状況に置かれているにもかかわらず、東電に対して、お世話になったと感じている人が今も多いという。
それだけ、原発誘致により、町がうるおい、生活が豊かになったと実感している世代が多いのだろう。
一方、誘致の際、反対運動があったらしいが、その資料はほとんど残されていない。
これは、故意に残さなかったのか、残すほど大規模ではなかったのか。
とにかく資料の消滅スピードが加速している。
3.11で多くの資料が失われたが、辛うじて、デジタル化されて残ったものがあるという。
どんどん都市化が進み、古い家が取り壊される度に、多くの貴重な資料が失われている。
親戚の家も震災後建て直せず取り壊されてしまったが、代々のお医者さんで、お邪魔した時、古い調剤道具や、薬棚があったのを思い出す。
たぶんそれらも失われてしまったのだろう。
いろんな面で、考えさせられる1冊だった。