若者は「クルマ離れ」だけ?

若者たちのクルマ離れが問題になっている。クルマをもつ経済的な余裕がない、ということがその理由の主なところである。
私などもクルマがなくてもそれほど不自由していないから、別に若者の車離れをことさら問題にする必要もないのでは、とも思う。そんなことより、働く条件をいかに広げるかを問題にすべきではないか、ということも当然だ。

しかし最近の若者たちの傾向については、クルマ離れに示されることが端的な若者らしくない所を示していないのか、ということが気になる。
かつて(2,30年前)、どれだけ経済が苦しくとも若者たちはクルマを手に入れた。その動機がなんであれ、また大の大人から「いいフリしてクルマを持たなくてもいいじゃないか」などといわれながらも若者はクルマを宝物を手に入れたいというように求め続けた。それだけ、自己の欲望をストレートに表現したのではないか。今、若者たちは欲望があるのか、とシニア世代は気になりだしている。

恋人もいなくてもいい。結婚も無理してするほどでもない、一日500円あれば何とか生きていけるから引きこもっている方が楽だ、異性に声をかけてふられると自分が空しくなる、などなど。いろいろな否定的な声が聞こえる。
「自分がそれでいいというのだから他からとやかくいわれるスジはない」というような尤もらしい発言をする人がいるらしい。

「生きる力」というのは、自分を幸せにする欲望を持つことも一つの大事なモチベーションだ。クルマ離れが、そういう生きる力を喪失しかかっていることと関係はないのだ、というならかえってエコ社会にむかう健全な傾向であるのだが。

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