携帯料金の大幅な引き下げ?

菅内閣の当面のメダマだろう。1割程度の引き下げなら問題の外だ、というようなことを政府のメンバーが言っている。4割以上下げることになれば有り難いとは思うのだが、私は今支払っている料金がそのまま例えば4割減になるのだろうと思っていたが、そういう単純なことではないらしい。まだよく分からないが、新規のセット購入者が安くなった料金の恩恵を受けるというような話もある。多分単純に現行料金の4割ダウンなどではなく . . . 本文を読む
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定山渓の紅葉と北大の黄葉

昨日と今日、定山渓の紅葉探勝の小旅行。天候がパッとしないとの予報だったが、幸い時どき陽がさすという秋日和。お昼前に帰札。ついでに北大構内の黄葉も探勝した。こちらは構内の各所に警備員がいて、ちょっと歩道から車道に出てカメラをかまえると「アブナイから車道に出ない!」と叱りつけるという大学の方針。日曜日、クルマが構内をどんどん走っているのにニンゲンはロープをはった区域からはみ出てはいけないという態度だ。 . . . 本文を読む
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いじめ、「最多」という

今朝の新聞のトップ記事は「いじめ」 最多61万件」だ。コロナ禍の進行がこの背景にあるのかも知れない。それにしても、だ。今、多くの小中学校はクラスの生徒数は40人が「標準」だ。私はこのクラスの生徒数を10名減らして「標準」を30人(これ以下が増えるようにする)としたらこのいじめ件数は大幅に減少するだろうと思う。もちろん教師の指導力とか学校としてのいじめを許さない組織的体制の確立も重要であろうが、教師 . . . 本文を読む
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前首相・安倍晋三氏の「学力」

これはこれまでいろいろ言われてきた。「紙の爆弾」11月号で編集部が安倍氏の発言を指摘しているので紹介しておく。私たち自身の「学力」チェックになるからだ。次の単語の読み方は?Go To、云々、已む、背後、杉原千畝、画一的、などの語。安倍氏は上の単語を次のように読んだ。 ゴートー、でんでん、次の語は「天皇・皇后両陛下には末永くお健やかであらせられますことを願って已(い)ません」、せいご、すぎはらあだち . . . 本文を読む
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札幌市に対するフリースクール支援策拡充の要望

標記のテーマの取り組みをこの8月から進めてきた。市議会への働きかけ、市長への働きかけなど。今日はこのテーマを担当している部局の「子ども未来局」の担当者と話し合う機会をもつことができた。わが学園からは父母代表3名も同席して縷々父母の立場からFS負担軽減を実現するために市からの援助の拡充を進めて欲しい旨の話があった。小一時間議論し合った。結論的には未来局として特別に支援策拡充の方向などをいうことはなか . . . 本文を読む
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札幌は快晴、紅葉始まるか

札幌は今日は午後4時までは快晴。秋の始まりを感じさせる日だった。これは道庁前のシーン。まだ市内は紅葉5分前だ。美しい秋は日本の自然のよさを現すと感じる。徒然草を著した兼好法師は、「自然のよさは秋が一番だという人がいるが自分は必ずしもそうは思わない。自分は春にこそ心がうきうきする」と書いている。人それぞれだが、私は春に花が一斉にその命をほこらしげに競い合う美しさもいいが、秋の複雑な、それこそ趣が多様 . . . 本文を読む
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豊平峡の紅葉

昨年とほぼ同じ時期、紅葉がすばらしい札幌市のはずれの豊平峡に行った。幸い非常な快晴で紅葉狩りに最適の日和だった。昨年との比較だが、昨年21日だったから、あと4日ほどたったらほぼ同じようになるのだろう、と思う。たくさんの人が紅葉を楽しんでいた。(左が昨年21日、右が今日)。 . . . 本文を読む
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ペットが登場

同居している娘夫婦が10数年前から飼っていたダックスフンド2匹の寿命が数年前に終わった。そして愛玩動物がいない暮らしがあったのだが、今回ミニチュアダックスを買って来た(何十万円もしたらしい)。これが小さくて可愛い。誰彼となくじゃれる。だから私などもちょっとした癒やしに遊んでもらったりする。おしっこだ、うんこだ、と世話がかかるのだろうが、それもまた楽しみだろう。私が子どものころ、田舎では農耕馬2頭と . . . 本文を読む
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教え子たちを戦場へ送った教師たちの血の叫び

「軍歌」をちょっと考えたことから反対のテーマも浮かぶ。予科練に応募した若者たちの背を押した人に「先生」がたくさんいた。これを反省した戦後の教師たちはたくさん「不戦の誓い」をした。この代表的な人に竹本源治という人がいた。竹本さんが詠んだ有名な詩がこれだ。戦死せる教え児よ   竹本源治逝いて還らぬ教え児よ私の手は血まみれだ君を縊(くび)ったその綱の端を私も持っていたしかも人の子の師の名において嗚呼!「 . . . 本文を読む
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昔の「軍歌」2

私の叔父が、今で言えば高校にはいったころの年齢のときに、兵役は満⒛歳だが、15歳を過ぎたら志願することが求められていたからだったと思うのだが、これを志願した(と記憶)。先輩が予科練に志願するというので、私たち後輩たちは皆体育館で一種の「壮行会」をしたのではないだろうか。昭和19年の終わりか翌年春だったと思う。運が良くすぐ戦争は終わって叔父は無事帰還できたが、そんなこともあってこの予科練の歌は人ごと . . . 本文を読む
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