オオカミ少年のこと

「オオカミが出るゾ」と言って人々を驚かしていた少年が、本当にオオカミが出てこれを大声で伝えようとした。しかし人々は「またアイツはウソをついて俺たちを驚かして喜んでいるんだ」と言って相手にしなかった。 このことから、ウソの繰り返しは事実を隠してしまう、という意味で「オオカミ少年」というたとえが言われる。 . . . 本文を読む
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休日の読書計画

歴史の勉強にもなるし、今の国際事情の一つのポイントでもある「中東問題」を、少し勉強しようということが、昨日と今日の2日間の休日の計画だった。 そのために、書店から福富満久という人の書いた「戦火の欧州・中東関係史」という2000円近い本を買った。 . . . 本文を読む
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今は日大に対して総攻撃の様相

あの日大のアメフト部の監督やコーチ、それに引き換え反則タックルをして選手のいさぎよさなどのコントラストが面白い。 今マスコミはあげて日大を攻撃している。非難されるそれなりの理由があるのだが、それにしてもお粗末きわまりない。 . . . 本文を読む
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人生最期を問う書

しばしば書店に行く。最近とみに目につくのは、「人生最期を問う」を意味するタイトルの書がたくさん刊行されていることだ。 高齢者が多くなり、高齢者は「遅かれ早かれ」(かなり間近にある「遅かれ早かれ」だが)死ぬ。 . . . 本文を読む
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「キツネにつままれる」

今日は朝から体調が悪く(妙な疲労感)、学校を休むことにした。テレビはほとんど日大問題。ますます大学側の態度に不信感が強まる。と同時にあのタックルをした学生のいさぎよさと誠実な態度に好感がもてた。 テレビをみていてあるコメンテーターが、ある事件を評して「キツネにつままれている感」というような表現で、ある事件(通行人をほとんど無関係な男が殴ったというような事件ではなかったか)と言った。 . . . 本文を読む
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ふたつの理解の違い(アメフトと加計)

アメフトの加害側が記者会見をした。「ぶつかれ」「つぶせ」は事実で監督の指示どおりやったという。これに対して監督側は、決して反則行為を行うことを認めていない、指示はしていないという。 . . . 本文を読む
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王室と皇室

イギリスの王子の結婚式が大きな話題となっている(いた?)。その内容については省略するが、このニュースを見て、日本の皇室についてもあわせて考えさせられる。 いうまでもなく王とか天皇とかがかつて主権者として国民大衆に君臨し、人々を支配していた歴史的な時期があった。 . . . 本文を読む
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「たらればの話は問題外」と言うが?

しばしば政治の重要なポストにある人が(最近気になったのは例の麻生大臣)、重要な議論の中で、相手から「もし…」という仮定の問題を前提として質問されたら「たらればの話は議論の埒外だ」などという前提で見解を表すことを拒否する。この種のやりとりをしばしば耳にしたり目にしたりするが、このような議論拒否の論理は許されるのか。 . . . 本文を読む
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人類の未来

人類の未来ということについては、大なり小なり多くの人が意識的か否かは別としてどこかに問題意識としてもっているテーマなのではないだろうか。これについて、エマニュエル・トッドという人の著作が日本でも読まれているようだ。このトッドの解説者でもある鹿島茂さんという人が「エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層」という本を書いている(ベスト新書)。ちょっとだけ紹介しよう。 . . . 本文を読む
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指示と理解の間に乖離(かいり)があった?

アメフトの試合で日大の選手が関学大の選手に対して誰がみても(全くの素人である私がみても)ルール違反、もしくは意図的な妨害行為と思われるタックルを行った。 日大のチームに対して大きな抗議や批判が寄せられているのだが、当の日大の関係者は「違反行為を行えと選手に指導していたわけではない。厳しい指導に対してこれを認識した選手たちとの間に乖離があった」という意味のことを言っていた。 . . . 本文を読む
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