「天気晴朗なれども波高し」

この言葉は、先日東京で築地市場の豊洲移転に関連して設置された百条委員会で、証人喚問された元知事の石原慎太郎氏が、記者連中に対して、心境を聞かれて答えた一言だった。
 
今日の毎日新聞によると(「松尾貴史のちょっと違和感」という記事)、石原氏はこの語に続いてつぎの言葉も言っていたという、「君ら教養ないから知らないだろ」。
 
この天気晴朗…と言う言葉は、日露戦争(1904~05)の時、ロシアのバルチック艦隊を迎え撃つ日本海軍の司令官であった東郷平八郎という人の部下が東京に打電した文章の一部である。このとき「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」という文だった。
 
日露戦争は陸軍の「203高地の戦い」(旅順の戦い。さだまさしの「防人の歌」がこの戦いを詠ったものだと言われている)での苦戦の末の勝利と海軍の日本海海戦の戦いの勝利によって、日露戦の勝利という結果になった。
 
石原慎太郎氏がこの「天気晴朗にして…」という語をいう意味は、戦いに臨む直前の戦士の気持ちを言ったのだろうか。それにしてはオソマツ極まりない議会での発言だった。「記憶にない、忘れた」の二語に尽きるのではないだろうか。「脳梗塞を患ったので言葉も忘れた」というようなことを言って事前の煙幕を張って、結局は証言拒否的な態度に終始した。
 
言葉も忘れた人が「天気晴朗なれど…」と言って、しかも「オレはこんな歴史的明文(「天気…」は名文だという人もいるらしい)を知っている。君たちは無教養だから知らないだろう」というのは実に不愉快である。この石原氏の都議会での態度について「追及せぬ都議に隔靴掻痒」という感をもったと松尾さんが言っているのは理解できる。
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