映画「永遠の0」

0戦という言葉は子どもの頃から知っていた。その昔日本が誇る優れた艦上戦闘機だった。この戦闘機に乗って出撃せざるを得なかった映画の主人公の祖父を、孫は当時の戦友たちを訪ね歩きながら知っていく。

「死にたくない。妻や子に会いたい」という宮部久蔵は、昭和20年の春やむにやまれぬ心の苦しみを抱きながらも0戦に乗って出撃する。そしてアメリカの攻撃にあい、敵艦隊に突入することなく海に沈む。

見ながら何度も涙をぬぐった。「帰りたい、帰って妻や子に会いたい」と願う宮部の姿をスクリーンで見ながら自分の父を二重写しで思っていた。
私の父は飛行機乗りではなかったが、中国大陸で戦死した。どれほど「妻(私の母)や子ども(私たち二人の兄弟」に会いたい」と思いながら死んだろうか、と。

決して国のためにとか天皇陛下のために、などではなかったことはわかる。
当時の軍歌も日の丸も出ない。在りし日の悲しいまでの兵隊の心を映し出す場面ばかり。

見終わって「しかしどうしてこの映画が今つくられるのだろう」と疑問に思った。帰りに書店に行くと太平洋戦争関連の書がたくさん平積みされている。「太平洋戦争は日本が引き起こした戦争」というものもあるが、必ずしもそういう「反戦」的なものだけではない。
逆に「あの戦争を考え直そう」といったものが多いように思った。一面危険な世の雰囲気をも感じる。

「永遠の0」は防衛省や自衛隊もまた支援していた。

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