福沢諭吉の「天道人に可なり」

先日、元道教育大学長の村山紀昭さん主宰の「教育人間塾」例会があり、久しぶりに出席した。テーマは、福沢諭吉の「福翁百話」から「天道人に可なり」だった。

福沢はいうまでもなく1万円札の主人公で、日本人なら知らない人はいないだろうと思われる明治以降の大思想家だ。しかし知っているようで知らない。その多くは「学問のすすめ」冒頭の「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」を称えた人程度であろう。私も、だいたい同じだった。しかし「教育人間塾」に参加することで、福沢についての認識は多少増えてきたと思っている。
しかしこの人が明治期の哲人であることから来るいろいろ微妙な思想的限界もまた確かではないかと感じる。

今回、村山さんが提起したテーマは、その「限界」を自ら言いながら「しかし人間の知恵は進化しているのだよ。みんなもそれを知って欲しいのだ」と福沢が私たちに説いているように思った。

人の世には悪人も多いし、戦争もある。エゴイストも少なくない。他人の迷惑を考えずに自分の利益のに追求する人もいる。国家を例にあげても同じように言うことができる。
しかし(福沢は言う)「つらつら開闢以来の人事」を見れば「進むあるも退くなし」。局部的に見ると「難病に苦しむ者」はいても、「人間には情欲の盛んなると共に知識の発達もまた非常にして…世々子孫相伝えて遂に本来の無病に還るの日あるや疑うべからず」。

物事を大局的に見ることの大切さを説く。「5,6千年来の経歴を見ても進歩の実は明らかなり」と。
福沢の言葉をあらためて引用しておこう。
「過去の事実に徴じて人事進歩の違わざるを知り、禍福平均の数を加除して幸福の次第に増進するを知り、由て以て天道人に可なるの理を証するのみ」。

人間の歴史の進歩は疑うことができない。それは「最大多数の最大幸福」に向かう歴史であり、これを彼は天道という。
歴史の大道は人の幸福への大道である。「天道人に可なり」の意味だろうと知ったのだが、ちょっと楽観的すぎるのかも、との批判もあるだろう。

しかし日本人の常識的先達の理念をしっかり継承することの意味もまた重要かと学んだ例会だった。

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