kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

終戦の日(敗戦の日)  終戦前後シリーズ NO.9

2008-10-07 06:18:31 | 思い出

これは広島に原子爆弾投下の写真です

 

終戦の日(敗戦の日)  終戦前後シリーズ NO.9

昭和20年(1945年)8月15日 正午 天皇陛下の玉音放送が流れた。

この日、午前中は、厳しい軍事訓練をし、11時頃から校庭に3600人の学生が集まり始め、11時45分頃に整列が終了した。体は痩せおとろいていたが、気持ちはしきしまっていた。

放送の内容はラシオの雑音が邪魔して聞き取れなかった。そのうち学生がなき始めた。

鳴き声は電波のように広がり、放送は敗戦(終戦)であることが理解できた。

今の今まで、日本は勝利すると軍部に騙され、それを信じて軍事訓練・厳しい学校生活を送ってきたのに、1瞬の内に敗戦とは、心の切り替えができなかった。

しかし、時間がたつにつれ、少しずつ我に帰り、これで死なずにすむ、軍事訓練はしなくてすむ、やっと自宅に帰れる・・・と、ほっとした気持ちが芽生えてきたのを今でも覚えている。次の日(8月16日)、自宅待機とのことで学校を後にした。

出たらめな放送を続けた大本営発表で国民をだました軍人、それに騙され続けた私たち国民。この戦争で勝利を信じて死んでいった兵士。悲惨な状況で命と家財を失った一般国民。

を思うとき、悲惨の極みである。どんなことがあっても2度と戦争はあってはならないと国民は決意したものと信じている。

20.5.29 空襲で宮殿全焼

20.6.8  最高戦争指導の会議で本土決戦方針の採決

20.7.25  米、英、中、ポツダム宣言発表

20.8.6  広島に原爆投下

20.8.8  ソ連、対日宣戦布告

20..8.9  長崎に原爆投下

20.8.10  天皇、ポツダム宣言受諾を決意

20.8.14  御前会議でポツダム宣言受諾を決定

これから、社会の混乱、生活の困窮、軍人の帰国、不穏な動き等が始まった。