これは広島に原子爆弾投下の写真です
終戦の日(敗戦の日) 終戦前後シリーズ NO.9
昭和20年(1945年)8月15日 正午 天皇陛下の玉音放送が流れた。
この日、午前中は、厳しい軍事訓練をし、11時頃から校庭に3600人の学生が集まり始め、11時45分頃に整列が終了した。体は痩せおとろいていたが、気持ちはしきしまっていた。
放送の内容はラシオの雑音が邪魔して聞き取れなかった。そのうち学生がなき始めた。
鳴き声は電波のように広がり、放送は敗戦(終戦)であることが理解できた。
今の今まで、日本は勝利すると軍部に騙され、それを信じて軍事訓練・厳しい学校生活を送ってきたのに、1瞬の内に敗戦とは、心の切り替えができなかった。
しかし、時間がたつにつれ、少しずつ我に帰り、これで死なずにすむ、軍事訓練はしなくてすむ、やっと自宅に帰れる・・・と、ほっとした気持ちが芽生えてきたのを今でも覚えている。次の日(8月16日)、自宅待機とのことで学校を後にした。
出たらめな放送を続けた大本営発表で国民をだました軍人、それに騙され続けた私たち国民。この戦争で勝利を信じて死んでいった兵士。悲惨な状況で命と家財を失った一般国民。
を思うとき、悲惨の極みである。どんなことがあっても2度と戦争はあってはならないと国民は決意したものと信じている。
20.5.29 空襲で宮殿全焼
20.6.8 最高戦争指導の会議で本土決戦方針の採決
20.7.25 米、英、中、ポツダム宣言発表
20.8.6 広島に原爆投下
20.8.8 ソ連、対日宣戦布告
20..8.9 長崎に原爆投下
20.8.10 天皇、ポツダム宣言受諾を決意
20.8.14 御前会議でポツダム宣言受諾を決定
これから、社会の混乱、生活の困窮、軍人の帰国、不穏な動き等が始まった。
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