小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

荒木又右衛門の謎  5

2006-12-10 20:25:33 | 小説
「荒木の前に荒木なく、荒木の後に荒木なし」とうたわれた剣豪ぶりは、私など東映チャンバラ劇で育った世代には、身にしみた言葉だった。プロレスの揺籃期、力道山と木村の対決を固唾をのんで見守った子供の頃、「木村の前に木村なく木村の後に木村なし」という柔道家出身の木村の善戦を信じて疑わなかった。なんと世紀の対決はあっけなく木村が敗退した。力道山の空手チョップに一瞬にして崩れおちのだ。私は当時通っていた町道場の柔道をやめたものだ。そのとき、なぜだか荒木なんて剣豪だって実態は知れたものではないと子供心に思ったものだ。
 案の定、しかも鍵屋の辻の36人斬りは嘘っぱちで、実際は荒木又右衛門は二人しか斬っていなかった。なぜ、これが日本三大仇討のひとつなのか。
 もっと言えば荒木又右衛門は助太刀であって、仇討の主人公は義弟の渡辺数馬である。それなのになぜ荒木がヒーローなのか。なお言えばこの仇討、そもそも仇討の定義から外れているのだ。渡辺数馬の討った相手は、数馬の弟を殺した人物だった。武士の作法からいけば、弟を殺した人物に復讐するのは仇討にならない。敵が兄とか父とか尊属を殺した相手なら仇討であるが、卑属を殺した相手を討つのは、たんなる意趣返しである。
 それなのに、なぜ三大仇討なのか。ここにも荒木又右衛門の謎がある。
 いちばんの謎は、荒木又右衛門その人の死である。没年がおかしい。定説の没年とすると、不自然すぎるのだ。だから定説の没年以上に生きていたという説がある。
 私たちはたぶん仇討そのものの経緯を見直す必要がある。
 


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