小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

荒木又右衛門の謎  6

2006-12-11 20:08:00 | 小説
 寛永7年(1630年)7月21日の盆踊りの夜、岡山城下で藩主池田忠雄の児小姓で寵童とされる渡辺源太夫(17才)が殺された。殺害者は近所に住む河合又五郎(19才)。原因は男色関係のもつれということになっている。
 その又五郎は江戸に逃れて、旗本の安藤四郎右衛門の屋敷にかくまわれることになった。岡山藩は又五郎の身柄を引き渡すよう要求するが、安藤家は拒否する。大名対旗本の意地の張り合いとなるのだが、なにせ因縁があったのだ。むしろ池田家対安藤家の対立とみなしたほうがいい。
 もともと両家の確執の原因をつくっていたのは又五郎の父、河合半左衛門であった。河合父子二代にわたる因縁が背景にある。
 河合半佐衛門はもと高崎城主安藤右京進重長の家来であった。ある雨の日、傘が触れ合ったなどというささいなことで喧嘩をし、朋輩の伊能某を斬って逃げた。藩の人々に追われて、池田候の行列に飛び込んだ。池田候は窮鳥懐に入らずんば、とばかりに半左衛門を助けてしまうのである。そして岡山藩の家臣としたのだ。そのとき面目をつぶされた旧高崎候の弟が旗本の安藤四郎右衛門なのだ。こんどは立場が逆である。安藤家は池田家への面当てに、又五郎を渡さないのであった。
 人をくだらない理由で殺害して、自害もせずに逃げ回る河合父子が結局のところ話をややこしくしてしまったのだった。
 ともあれ荒木又右衛門は渡辺家の娘を妻にしていた。つまり殺された源太夫、そして仇討の当人数馬の姉を娶っていたのだ。


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