小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

荒木又右衛門の謎  4

2006-12-03 17:28:30 | 小説
 鍵屋の辻の決闘には、荒木の不覚の一場面がある。
 荒木が槍の名手とされた桜井半兵衛(当時24才)と対峙したさい、半兵衛の小者市蔵に背後から木刀(一説に天秤棒)で腰骨を撲られていたのである。刀を持っていなかったから小者のゆえんであるが、もし市蔵の得物が真剣であったら、荒木の命運はどうなっていたかわからない。それはともかく、荒木はとっさに刀を横に払うのだが、その刀をふたたび市蔵が撃った。そのとたんに荒木の刀は折れたのである。刀の銘は伊賀守金道。
 決闘後、荒木らの身柄を預かった藤堂藩の剣の指南役に戸波又兵衛という人物がいた。荒木の刀の銘を聞いて、手厳しい批評を下した。伊賀守金道は新刀(最近の刀という意味)である。折れやすい新刀を使って大事な場面に臨むとは不心得であろう。刀の鑑定もできぬのか、あるいは刀の鑑定のできる助言者もいなかったのか、と評したのであった。
 このことを人づてに聞いた荒木は、義弟の渡辺数馬とともに戸波の門を叩いている。ご高説もっともと入門したのである。入門に際して誓詞を書いた。寛永12年10月24日付けの自筆のその誓詞が現存している。
 その戸波又兵衛は、のちに戸波流を起こすが、流儀は新陰流であった。もう言わんとするところはおわかりいただけると思う。荒木又右衛門が柳生新陰流の極意を得た剣豪であったならば、こんな真似はするはずがない。
 戸波に入門した一件については、三田村鳶魚などは荒木をべた褒めである。一流を極めた身が謙虚に学びなおすところがすばらしいというわけだ。剣士には剣士のプライドというものがあるだろう。同門の人間にここまで虚心坦懐にはなれぬと私は思う。荒木はここではじめて新陰流に接したのではないのか。


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