小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

孝明天皇 その死の謎  17

2007-07-02 22:28:32 | 小説
 はじめ家茂はリウマチと診断されていた。さらに胃を悪くしていたから、リウマチの薬と健胃薬を併用していたらしい。
 6月に入ってから咽喉や胃の具合が悪化している。6月24日、両脚がむくみ、水腫の治療薬が調合されているが、効果はなかった。月末には水腫はさらにひどくなって、排尿にも支障を来たしている。
 月が変わって7月1日、激しい嘔吐が家茂を襲った。おびただしい胆汁を吐いて、酒石酸とジギタリスが投与されている。治療にあたっていたのは、蘭方医であった。竹内玄同、林洞海のふたりである。
 和宮はもともと蘭方医学に偏見をもっていたらしい。漢方医にかかるよう、家茂に勧めていた。兄の天皇からも漢方医を勧めてほしい、と京に急使を送っていた。
 7月5日、京都御所から漢方医ふたりが診察にやって来た。高階典薬少允と福井豊後守である。
 家茂の四肢は張り裂けんばかりにふくれあがり、呼吸も脈拍も切迫していた。漢方医のふたりは脚気だと診断した。
 ところが蘭方の奥医師たちは、脚気とは認めなかった。リウマチに胃病併発という診立てを変えず、つまり治療方針を変更しなかった。
 7月中旬になると、家茂は不眠と痙攣で、まさしく春嶽の見た「煩躁御苦悶」の状態になった。
 孝明天皇も天然痘の発症時に毒殺という噂が流れたのだが、家茂の場合もこれと事情は似ている。病名はともかく、発症時に毒を盛られたという説がささやかれるのであった。
 毒を盛ったのは、なんと宮中から派遣された医師だというのである。


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