小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

荒木又右衛門の謎  9

2006-12-24 17:15:28 | 小説
 伊賀上野の鍵屋の辻の決闘について、私なりに描写しようと思ったけれど、なぜだか興がのらない。しばらく時をおけば熟してくるものがあるのではと待ってみたが、テンションは下がる一方。自問自答してみるに、五時間にも及ぶという決闘の時間に納得がいっていないのである。そんなに長い時間、死闘をくりひろげられるものかという懐疑心が邪魔をしている。だからこそ36人斬りなどという俗説が生れたのではないかとも思う。
 この決闘での死傷者の数は次のようなものだ。
 荒木・渡辺数馬側は死者1名、負傷者3名。
 河合又五郎側は本人を含めて死者4名、負傷者3名。
 つまり実質4人対7人の戦いなのだ。河合側の小者で逃亡した者がいるらしいが、荒木らが鍵屋の辻で待ち伏せして、奇襲した又五郎一行の人数は20名に満たなかったのだった。
 決闘の様子は長谷川伸『荒木又右衛門』に詳しい。昭和10年代の新聞小説であるが、筑摩書房の『日本国民文学全集』の『長谷川伸集』で、このほどはじめて読んだ。解説を平野謙が書いていることにちょっと驚いた。さらに平野氏によれば、この小説を伊藤整氏がほめてていたとあって、これまた驚いた。平野謙も伊藤整も懐かしいお名前である。本名で講談社の『群像』の新人文学賞の評論部門に応募したときの、お二人とも選者だった。あと中村光夫と大岡昇平で選者は4人。大岡昇平と伊藤整の選評にはげまされて私は20代の一時期、文芸批評に精を出していた。平野氏は岩波新書の『昭和文学の可能性』の最終章あたりで、私の評論に言及して下さった。「懐かしいお名前」と書いたゆえんである。ものを書くということへの執着がいまも続いているのは、あのときの4人の方の選評に起因していると自覚している。
 テンションは下がっても、ともかく先へ進もう。
 


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