小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

荒木又右衛門の謎  8

2006-12-14 21:17:40 | 小説
 幕府は池田忠雄を毒殺(と断定する)し、池田家を鳥取に国替えさせた。むろん抗争の相手である旗本衆にも処置を下した。安藤四郎右衛門ら旗本衆に百日の寺入りを命じたのだった。河合又五郎は江戸払いとし、旗本衆らに「同人をかくまうべからず」とした。
 これが寛永9年6月のことである。
 父の半左衛門はというと、蜂須賀家への預け替えである。蜂須賀家では、半左衛門を受け取って大坂から徳島へ送る船中で、彼を殺した。
 大名と旗本の抗争の火種になるものは、ひとつずつ消していこうというような意思が働いている。
 さて、江戸払いとなった河合又五郎は、いったんは広島に潜伏し、そしてほどなく叔父の河合甚左衛門を頼った。郡山藩で荒木と同僚の甚左衛門は3百石の禄高を捨てて退身し、奈良の浪宅にいたのである。
 河合甚左衛門はいずれ荒木と衝突するだろうと予想し、退身したと思われる。いずれにせよ彼が郡山藩に留まっていたら、事態は別の展開をしたはずだ。
 さて、荒木又右衛門も寛永10年3月、郡山藩を退身する。義弟の渡辺数馬から、正式に仇討助成の要請があったからである。
 経緯はさほど単純ではないけれど、大急ぎで記述すれば、こんな具合になる。
 又五郎が奈良にいることがわかり、荒木らは仇討の機会を狙うことになった。そして、あの鍵屋の辻の決闘へとなだれこむ。


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