小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

荒木又右衛門の謎  10

2006-12-27 15:12:30 | 小説
 河合又五郎は奈良を出て江戸に行こうとしていた。江戸払いになっているのに、なぜという疑問が生じるが、要するに大名と旗本衆の抗争回避の一時的措置の「江戸払い」であって、もうほとぼりはさめたと判断したのであろう。旗本衆からの支援は続いていたのである。
 又五郎が奈良にいたことは渡辺数馬は察知していたが、彼を奈良で討つのは得策でない、と思っていたらしい。奈良町奉行が旗本のひとりだったからである。襲撃するなら大名の領分でと決めていたらしい。
 その又五郎が奈良を動いてくれて、藤堂藩の領分を通過しようとしたのである。
 寛永11年11月7日、そして又五郎は討たれた。叔父の河合甚左衛門と妹婿の桜井半兵衛の護衛も結果的には役に立たなかった。
 さてここで、悩ましい立場に立たされたのが藤堂藩である。弟の仇討だから古法には合わない。しかし、又五郎の首を墓前にそなえろと言った先の藩主の遺言を実行したのであるから忠臣とも言える。結局、幕府の裁断が下るまで荒木・数馬らを預かることになった。その期間が長すぎた。なんと幕府の正式な処断は寛永15年2月になった。3年有余が経過している。荒木・数馬を藤堂大学頭高次に付与するというものであった。
 ここで鳥取藩と郡山藩が動く。岡山から鳥取に国替えになった池田家は数馬を、郡山藩は又右衛門をそれぞれ貰い受けたいと申し出るのであった。
 話は次第にややこしくなってくるのだ。


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