小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

荒木又右衛門の謎  11

2006-12-30 20:16:32 | 小説
 それにしても、この事件に関し幕府が決断に要した年月の長さは異常である。
 池田家ひいては大名対旗本衆抗争の再燃の火種になりうる事件だから、うかつな判断はたしかに下せない。だから先延ばしにしているうちに、事件そのものが忘れられようとしたのか。それとも、この間にはたとえば島原の乱などがあって、幕府の決済事項としては、後回しの案件だったからか。
 たぶん、いずれも要因をなしていると思われる。
 だが旗本衆にとっては風化した事件ではなかった。旗本衆が伊賀上野に荒木・数馬らの刺客を放ったという噂は絶えなかった。旗本衆にすれば、いったんは庇護すると天下に公表した又五郎を討たれ、そのうえ荒木・数馬らにやすやすと帰藩されては面目丸つぶれと意識したのであろう。
 藤堂藩としては、荒木・数馬らの警護に気をつかいにつかったのである。
 紆余曲折はあるが、結局は渡辺数馬と荒木又右衛門は鳥取の池田家に移ることになる。
 数馬の場合は、岡山から鳥取に変わったといえ、帰参である。荒木の場合は微妙である。荒木の引き取りを望んだ郡山藩としても面白くない。
 ともあれ、奇妙なことが起きる。荒木又右衛門は8月の11日に鳥取に到着するのだが、28日には死ぬのである。到着後わずか17日目の急死。
 さて、なにがあったのか。
 


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