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みかん

   街を行き子供の傍を通る時 蜜柑の香せり冬がまた来る   
                           木下利玄

 毎日みかんを5、6個食べている。風邪を引かないようにビタミンを補充しようと冬になってからせっせと食べている。そのせいあってか今のところ風邪は引いてない。もともとみかんは好きだ。大学の頃、下宿への帰り道果物屋があってよく一袋買って行って、一晩で食べたものだ。それが夕飯の代わりになったことさえある。みかんというものは食べ出すと止まらない、いくらでも食べられる。ピーナッツも同じように食べ出すと止まらないが、みかんはさすがに満腹になる。しかし、水分が主なのですぐにお腹が空く。決して夕飯代わりにはならないように思うが、学生の頃はそれで満足していたから不思議なものだ。
 みかんを漢字を使って「蜜柑」と書くとなんだか別の食べ物のような気がする。私が好きなのは平仮名のみかんであって、漢字の「蜜柑」などではない。同じようでいて微妙に違う。りんご・れもん・いちご・なしも、漢字で「林檎」・「檸檬」・「苺」・「梨」と書くと、簡単には食べられないもののような気がする。片仮名で「ミカン・リンゴ・レモン・イチゴ・ナシ」と書かれてもやはり違和感を感じる。私の好きな果物の名前は、平仮名で表記したいと言い張りたい気がする。
 
 ここまで書いてきて、そう言えば「みかんの皮をむかなくても中の袋の数が分る」という技があったのを思い出した。どうやるんだったかはっきりしなかったので妻に聞いてみた。すると、
 「みかんの緑のヘタをとると白い点々が並んでいるから、それを数えればみかんの袋の数と一致するよ」
と教えてくれた。なるほどと思って実際に試してみた。


芥川龍之介は「蜜柑」の中で、みかんの色を「心を躍らすばかり暖かな日の色に染まっている」と書いているが、絶妙な表現だ。みかんのもつやさしい色合いを過不足なく表している。このみかんのてっぺんにある緑のへたを取ってみると、確かに丸いくぼみの中に太陽の光の矢のようなものがいくつか見える。


老眼鏡の世話にならなければならない私には何本あるのかを視認するのは相当難しかったが、10か11あるのが分った。そこで、みかんの皮を剥いてみて袋の数を確認した。


袋は11あった。確かに妻の言ったとおりだ。不思議な気がして少し調べたところ、この緑のへたの下にある白い点々は水分や養分を運ぶ管の断面なのだそうだ。一つの袋に1本の管が通っているのだろうから、「点々の数=袋の数」という公式が成り立つのだろう。妻は「昔はもっとこの点々がはっきり見えたんだけどな」といかにもみかんの品質が変わったようなことを言った。しかし、私が見たところ、それは妻の老眼が進んだことの証左に過ぎないとしか思えなかったが、黙っておいた。
 皮を剥いたみかんはもちろん食べたが、みかんの食べ方は大別すると次の4パターンになるそうだ。
   1. 白いスジだけ簡単にとり、房ごと食べる人
   2. 房もスジも気にせず丸ごと食べる人
   3. スジをていねいにとり、房も吐き出す人
   4. 夏みかんのようにひと房づつむく人
面倒くさがりの私は、2のやり方で2口ぐらいで食べてしまう。なかなか豪快でしょ?
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