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「ねじまき鳥クロニクル」第1部

 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」の第1部 泥棒かささぎ編を読んだ。

 「DJヒロヒト」を読み終わって、次に何を読もうかなと考えていたときに、ふと書棚にあったこの本が目についた。手にとって裏表紙を見たら1994年発行の初版本だった。今から30年も前に、村上春樹の本など殆ど読んだことがなかった私がなぜこの本を買ったんだろう?しかも1ページも開いていないまま30年間もずっと書棚に埋もれさせていたんだから、本当にどういう意図で買ったのだろう、全く思い出せない。不思議だ。

 なんにせよ、読むものが見つかったのは喜ばしいことだから、少しばかり早起きして読み始めた。

 まず最初に感じたことは、30年前の村上春樹と今の(と言っても「街と不確かな壁」の)村上春樹の文体というか、醸し出される全体的な雰囲気がほぼ同じだなあ、ということ。30年前の小説などとは思えない。軽妙でいて含蓄のある文章は流麗で澱みなく繋がっていき、気持ちよく読み進められる。
「こうした一つの世界を構築している作家はさほど多くないだろうなあ」と改めて思った。

 しかし、最後の2章になって様相が変わった。「僕」を中心とした狭い世界から遠く離れた戦争が突如として語られ始める。語られる戦争の残忍さには思わず顔をしかめたくなるほどだ。「DJヒロヒト」で戦争に人生が滅茶苦茶にされた人々を繰り返し読んだ後だから余計に戦争の非道さに思いが行ってしまうのかもしれないが、果たしてこれが今後の展開にどういった影響を及ぼすのだろう。何らかの伏線になっていてもおかしくはないだろうと思う。

 ともあれ、第2部も手元にあるから続けて読んでいこうと思っている。

 ただ、村上春樹の小説のよくあるパターン、話を広げるだけ広げて伏線が回収されないまま終わってしまうというのだけはちょっとやめてほしい。
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