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「ダモクレスの剣」

 喫茶店で読んだ12月20日の中日新聞のコラム「中日春秋」には考えさせられた。以下にその全文を載せてみる。

 『古代ギリシャのシラクサ王が玉座の上の天井から毛一本で吊された剣で、盤石に見える王権も、常に危険に脅かされていることを示したのが、有名な<ダモクレスの剣>の故事である。
 五年前に処刑されたイラクのフセイン元大統領は生前、国の原子力庁に、食物から衣服、洗面用具、白髪染めに至るまで何百万ドルもする機械で毒性検査させていたという。蓋し、いつ反逆に遭うかもしれぬという恐怖は、独裁者にとって税金のようなものだ。
 顧みれば、今年ほど、専制的支配者が、主として民衆の力によって次々に玉座を追われた年もない。チュニジアのベンアリ大統領、エジプトのムバラク大統領、リビアの最高権力者カダフィ大佐…。シリアのアサド大統領も、瀬戸際に追い込まれている
 そんな年の最後に飛び込んできたニュースだ。昨日、北朝鮮の国営放送が金正日総書記死去を伝えた。闘病説もあったが、何ともあっけない最期である
 「アラブの春」が彼の人の心をかき乱し、その恐怖を一層深めていたのは想像に難くない。いずれは訪れる“王朝”の崩壊を、その目で見ずに済んだのは独裁者としては幸運だったかもしれぬ
 もし、三男正恩氏が権力を継承すれば、同時に恐怖も相続することになる。そして、天井から剣を吊す毛は、祖父や父の代同様、自分の代も切れぬと考えるなら、余りに楽観的である』

 確かに、今年は一時代を築いた権力者が連鎖的に倒れた年であった。かつては高邁な理想を標榜した者がいつしか権力の魔力に己を見失い、欲望に駆り立てられ国民の生活を顧みなくなる、そんな共通項が、石もて権力の座から追いたてられた者たちにはあるように思う。一人の絶対的権力者が民に政を施す、そんな政治形態はもう時代遅れだ、と気づいた人々の声の高まりがこういう結果を招いたのだと私は思っている。
 だが、日本では、すこしばかり事情が違うようだ。今、この国では、民のために善政を行うには大きな力を持った存在が必要だと言いたげな者たちが跋扈し始めている。己の主張を押し通すには、数に頼って反対者を力尽くで黙らせる、そんな手法が大手を振ってまかり通り始めた。そして、首相公選制までも公言するようになってきた。何を目指しているかは詳しくないが、決していい気持ちはしない・・。
 <ダモクレスの剣>の戒めなど必要としない為政者こそが求められているはずなのに、いつの間にか威勢のいい言辞に目くらましを喰らった人たちが多くなってしまった。

 危ないなあ・・。

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