毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
「がんばろう!日本」
『日本プロ野球組織(NPB)が、東日本大震災の被災地への復興支援の姿勢を示すスローガンとして「がんばろう! 日本」を掲げることで最終調整に入っていることが26日、わかった。複数の関係者が明らかにした。独立リーグの「BCリーグ」や「四国アイランドリーグplus」、女子プロ野球機構もNPBと同じスローガンとロゴマークを採用する方向で、早ければ28日にも発表される。NPBでは現在、ヘルメットやユニホーム、帽子に付けるロゴマークを作製中。第83回選抜高校野球大会や、今秋に延期されて開催される社会人野球・都市対抗など日本野球連盟(JABA)の今季大会スローガンも「がんばろう!日本」となっており、被災地を支援する輪が日本野球界に広がりつつある』(毎日jp)
このブログのタイトルは言うまでもなく、「疲れるけど、頑張ろう!」。6年前にこのブログを始めるにあたって、自分の気持ちを一番素直に表す言葉がこれだったから、そのまま使った。「毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています」などとサブタイトルに書いたのも、当時の心境を素直に書き留めたものであり、その思いは今でも何ら変わっていない。6年間何の進歩もなかったのか・・、と言えば言えるのだろうが、「頑張ろう!」と常に己を励まし続けねば、倒れてしまうような弱い人間だから、それも仕方のないことだろう。
私は己を鼓舞するのに、「頑張ろう!」という言葉しか思いつかない。「頑張らない生き方」「無理しない生き方」を礼賛する人々もいるが、私のように自堕落な者が一旦そんな思いに取り付かれたら、その時点ですべてが止まってしまう。もう少し年をとって恬淡な毎日を過ごしてもいいようになれば、それでもいいかもしれないが、まだまだ欲望だらけの今では、そんな仙人のような生活は送れるはずもない。それならグダグダ生ぬるいこと言ってないで、とことん頑張るしかないだろう、そんな思いに駆られて、ブログタイトルにこの言葉を選んだことは、今も鮮明に覚えている。
当時、「ゆとり教育」という愚にもつかない政策が大手を振って罷り通っていた。一生懸命勉強することが「悪」でもあるかのように喧伝されて、日本中の箍が緩んでしまっていた。塾長として、そんな社会風潮に警鐘を鳴らす意味もあった。小学校・中学校の間に、努力する習慣、頑張ろうとする意欲を見に付けておかないと、この国の将来は大変なことになるぞ、と偉そうなことを思ってもいた。そんな時だったから、アンチテーゼの意味も含めて「頑張ろう!」と自分を励ます言葉が自然と出てきたのかもしれない。
そんな私の思いも、今思えば、自らに向けてのちっぽけなエールだったのかもしれないが、この度の「がんばろう!日本」には、もっと深いメッセージが込められているように思う。震災に遭った人々を励ますだけだったら、「がんばれ!日本」でもよかったのかもしれない。しかし、それではあまりに他人事。自らは安全な場所に身を置いて、申し訳程度の激励の言葉をかけたところで、罹災者の心には何も響かないだろう。逆に要らぬ世話と反感をもたれてしまうかもしれない。
一方、「がんばろう!日本」には、震災被害を己自身に起こったものと受け止め、被災者とともに復興に向けて力を合わせていこう!という気概が感じ取れる。一人一人が力を合わせねばこの難局は乗り切れるものではない。そういう意味では、被災者の立場に立った想像力あふれる言葉だと思う。
それをもっと具体的に表したのが、SMAPのACのCM。
なんだかんだ言っても、SMAPはすごい!
このブログのタイトルは言うまでもなく、「疲れるけど、頑張ろう!」。6年前にこのブログを始めるにあたって、自分の気持ちを一番素直に表す言葉がこれだったから、そのまま使った。「毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています」などとサブタイトルに書いたのも、当時の心境を素直に書き留めたものであり、その思いは今でも何ら変わっていない。6年間何の進歩もなかったのか・・、と言えば言えるのだろうが、「頑張ろう!」と常に己を励まし続けねば、倒れてしまうような弱い人間だから、それも仕方のないことだろう。
私は己を鼓舞するのに、「頑張ろう!」という言葉しか思いつかない。「頑張らない生き方」「無理しない生き方」を礼賛する人々もいるが、私のように自堕落な者が一旦そんな思いに取り付かれたら、その時点ですべてが止まってしまう。もう少し年をとって恬淡な毎日を過ごしてもいいようになれば、それでもいいかもしれないが、まだまだ欲望だらけの今では、そんな仙人のような生活は送れるはずもない。それならグダグダ生ぬるいこと言ってないで、とことん頑張るしかないだろう、そんな思いに駆られて、ブログタイトルにこの言葉を選んだことは、今も鮮明に覚えている。
当時、「ゆとり教育」という愚にもつかない政策が大手を振って罷り通っていた。一生懸命勉強することが「悪」でもあるかのように喧伝されて、日本中の箍が緩んでしまっていた。塾長として、そんな社会風潮に警鐘を鳴らす意味もあった。小学校・中学校の間に、努力する習慣、頑張ろうとする意欲を見に付けておかないと、この国の将来は大変なことになるぞ、と偉そうなことを思ってもいた。そんな時だったから、アンチテーゼの意味も含めて「頑張ろう!」と自分を励ます言葉が自然と出てきたのかもしれない。
そんな私の思いも、今思えば、自らに向けてのちっぽけなエールだったのかもしれないが、この度の「がんばろう!日本」には、もっと深いメッセージが込められているように思う。震災に遭った人々を励ますだけだったら、「がんばれ!日本」でもよかったのかもしれない。しかし、それではあまりに他人事。自らは安全な場所に身を置いて、申し訳程度の激励の言葉をかけたところで、罹災者の心には何も響かないだろう。逆に要らぬ世話と反感をもたれてしまうかもしれない。
一方、「がんばろう!日本」には、震災被害を己自身に起こったものと受け止め、被災者とともに復興に向けて力を合わせていこう!という気概が感じ取れる。一人一人が力を合わせねばこの難局は乗り切れるものではない。そういう意味では、被災者の立場に立った想像力あふれる言葉だと思う。
それをもっと具体的に表したのが、SMAPのACのCM。
なんだかんだ言っても、SMAPはすごい!
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